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ケルトの妖精 №13 [文芸美術の森]

ガンコナー

             妖精美術館館長  井村君江

 ある村はずれの谷間に羊飼いの一家が住んでいた。その家にはモイラという年頃の美しい娘がいた。モイラは、山の牧草地に羊を迫っていくのが仕事だったが、牧草地と谷間の家の往復ばかりで、生まれてこのかた一歩もほかの場所へ行ったことがなかった。
 いつのころからか、モイラは、明るい陽のあるうちは羊を追って、快活な気分でいたのに、夕暮れになって家路につくころには、なぜだか心にポッカリと穴があいたような気持ちになるのだった。
 ある日、いつものように羊の群れを、谷あいの道から山の牧草地に追っていった。谷を登るにつれ、芽吹いたばかりのやわらかい黄緑色の草が現れ、やがて山の斜面いっぱいに牧草が広がる場所に着いた。そこからは、麓の村が小さく見える。モイラは杖をおき、そこで羊たちに思い思いに草を食べさせていた。
 しばらくすると、山の頂きのほうから霧が這いおりてきた。嵐になるような天気ではなかったので、モイラは袋のなかから肩かけを取りだして、露を避けていた。
 しかし、変わりやすい山の天気は、ひとときもすると灰色の霧をはらい、陽も戻ってモイラを安心させた。
 ほっとしたモイラがふと見ると、羊の群れのなかに見知らぬ若者が立っていた。
 「どこから現れたのだろう」とモイラはいぶかった。
 男の靴が見えたが、靴はぬれてもいず、汚れてもいないところを見ると、いま霧でぬれた草を踏んで歩いてきたとは思えなかった。
 若者は、ドゥディーンというすてきなパイプをくわえ、かすかに煙をくゆらせていた。煙草の甘い香りがモイラのほうに流れてきて、モイラをなんともいいようのない心地に誘った。甘い香りのせいだけではなく、若者が山の人とは思えないような、息をのむほどの美貌のせいもあったにちがいない。
 その若者はモイラに話しかけてきて、モイラが見たことのない、遠くの街々のことを語ってくれた。そして若者は、立派な城に住む王女さまや、白馬に乗って駆ける王子さまのこと、恋をする男と女の胸のときめきを語った。
 モイラの心は夢のような若者の話と、村いちばんの笛吹きの吹く笛の音よりも美しい声の響きにとらえられた。モイラは罠にでもかかったかのように若者に恋をした。
 生まれてはじめて感じる心のときめきがうれしくて、モイラは夢中だった。
 ふたりは抱きあって、ひとつになった。モイラが見ているのは若者の澄んだ瞳とやさしいくちびるだけ、ほかの何もモイラの目には入らなかった。
 耳にも、若者のささやく声以外、羊たちの鳴き声も、夕暮れを知らせる風の音も入らなかった。
 喜びが大きすぎて、モイラの胸からあふれだしそうだったから、モイラは十字を切って神に祈りをささげた。
 と、そのとたんに、かき消すように若者はモイラの腕からいなくなってしかった。
 それから毎日、モイラは若者と出会った山へ羊を追っていったが、どんなに探しても、二度と若者の姿を見ることはなかった。モイラがどんなに恋心をつのらせても、若者は応えてくれることはなかったのだ。
 羊を追った強い脚も、日に焼けてバラ色に輝いていた頬も、もうモイラから消え失せてしまった。すべてをあきらめたモイラは、だれにも告げず、自分で死の衣装を用意して、やせて、うつろな目をして、そして死んでいった。

◆ 妖精に恋をした人間の命を、愛の代償として奪う妖精は、女の妖精がリヤナンシー、男の妖精がガンコナー(ギヤン・カナハ)と呼ばれる。リヤナンシーはいわば詩の女神で、愛する人間の男の血を吸う代わりに芸術の霊感を与える。詩人が早死にするのはそのためといわれる。ガンコナーは別名「愛をささやく者」(ラブ・トーカー)ともいわれる。

 わたしたち二人は抱き合った
 外の世界を意識からしめだして……
 あの人の目は炎、言葉は罠、
 十字を切ると、男は悲しげな声をたて、
 雲が通りすぎたかとおもうと、わたしはひとりきり……

 「愛をささやく妖精に会った娘は、死の衣装を織るだろう」
 むかしの言い伝えが、いつも頭にうかんでた
            (アンナ・マクマナス 『口説きの妖精』の一節より)


『ケルトの妖精』 あんづ堂

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