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渾斎随筆 №43 [文芸美術の森]

綜合大学を迎へて

                     会津八一

 綜合大学が新潟に出来ることに本ざまりにきまったといふことはまことにうれしい。いち早く気勢を上げて、猛烈に奔走してくれた指導者たちに感謝しなければならない。
 けれども、綜合大学は、もう全国に二十も出来てゐる。ひろく見渡せば、珍しいものがこれから出現するのではない。これが出来たからといって、この県が他県に封して大に威張れるといふのではない。もし大に威張りたいなら、実質的に、ほんとに上等のものを作って見せなければならない。貧弱なものでは威張るどころの話でない。
 大学といふのは学校としては一番高等のもので、最高の学府などといってゐる。敷地の廣いのも、建物の立派なのも必要ではあるが、それより大切なのは、いい教師といい学生のたくさん集まることである。いい学生はいい教師のゐる大学でなければ集まって来ない。いい教師は器械や、標本や、参考書が必要なだけ設備してもらへないやうなところへは来てくれない。だからかうした設備のことは敷地や建物よりずつと大切だ。そんなことは分りきってゐるといってはいけない。ほんたうに分られてゐたとは思はれない。その証拠は、今日までに出来てゐた二十の綜合大学でも設備がよくて、教師も学生も理想的に整ってゐる所ばかりであったとはいへない。だからまた、これから我等の県で作る大学が、これらの不完全だらけな従来の大学より、もつと粗末なものであってはならない。勿論従来のものを凌駕するだけの意気込も熱意もなければいけない。その覚悟がついてゐて、その上で、私のいふことを、分り切ってゐるといふならば、まことに頼もしい。
 これまでは、教育のことは御上まかせで、文部省の役人が案をひねって、上から命令してやらせたが、これからは、国民が自分なり自分の子弟なりを教育する機関や方法を、自分でよく考へなければならなくなった。自分等のために自分等が実行することを、自分等で考へるのはあたりまへのことである。新潟県がいい大学を持つやうに大に考へてもらひたい。
 ことに、これまでの大学には、徴兵猶予の特典を悪用して、学間などは少しも好きでないものや、または、就職の時に履歴書を飾るといふ、ただそれだけのために、卒業証書をほしがるものなどが、入学の手続をしに集まったものも少くなかった。そんなことでは、ほんとの学間も教育もが、どこの大学でも行はれてゐなかつたと、いってもいいかもしれぬ。そんな大学ばかりではこれから平和のうちに文化を以て世界に国を建てるなどといふわけにはいかない。なまやさしいことで学間の蘊奥を窮めるなどといふことは出来るものでない。だから今の時勢にぴったりと適合した大学をこちらで建てるつもりなら、在来のものより、ずつと理想も高く、覚悟も深く、いかなる犠牲をも甘んずるといふのでないといけない。しっかりと腰を据ゑてかかつてもらひたい。
 正直にいへば、新潟県人は、他県の人たち--たとへば長野などに較べて、知識欲が強いとか、研究心が強いとか、文化が高かったとはいへない。そこへ、こんど大学が出来れば、自然そんな方面もずんずん進歩するのであらうが、知識も食物のやうにほんとに空腹でありもせぬのに漫然と箸を取れば、消化もしない。吸収もしない。おまけに中毒も起るといふものだ。大学が出来て、山海の珍味ともいふべき学問の御馳走が御膳立てされぬちに、県民一同が、まづめいめいに自分の腹をなでてみて、めいめいがほんとに空腹になってゐるか、何うか、念のためしらべてみてもらひたい。そしていよいよこの御馳走に箸をつけることになったら、出来るだけ立派な御馳走になるやうな大学にしてもらひたい。金のかかるのは当然のことだ。金をかけるほどの必要がないと思ふくらゐならば、つまらぬ大学なら、ない方がいい。もう今日は徴兵猶予の必要はないが、職業教育だけで最高学府でもあるまい。もつと上等な、ほんとのっ学問のために、そして世界の文化のために、新潟の大学が、天下を睥睨するやうに、一つ大に御奮発を願ひたい。(『夕刊ニイガタ』昭和二十三年十月九日)

『会津八一全集』 中央公論社

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