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じゃがいもころんだⅡ №19 [文芸美術の森]

台風の怒り

             エッセイスト  中村一枝

 子どもの頃、秋になると台風のくるのはまるで当たり前のように思っていた。台風のあまりない年は何となく物足りない気分さえあった。それだけ台風の被害を受けずに今まで年をとって来られたと言うことだろう。でも今回の台風報道を見ていると、低い土地や土砂災害補償にあいそうな場所に住んでいる人達の苦悩や抜け道のない苦しみがひしひしと伝わってくる。普段はこの上なく住み心地がよく景色も抜群で、その土地に住む幸せを感じつづけてきた人が多いに違いない。そこから引っ越したり、移住したりするなんて考えもつかない日々を過ごしてきたに違いない。それがある日雨が降りつづいて突然川が変化する。昨日までの春の小川のような静かでやさしい川が牙をむくのだ。
 戦争中伊豆に疎開するまで私はずーっと都会っ子であった。それが突然、まちの真ん中を流れる川の上流に疎開する事になった。伊東の駅からは2、30分は歩く。町外れを過ぎると左手に川が流れていた。歩くのは高石垣の上の道。左側は底までこ見通せる。川幅はさして広くないが上から水の底まで見通せる。右側は畑や田んぼが広がっている。今思っても何とも穏やかで牧歌的な風景だった。道を歩いていても川の底の石までよく見える。何とも穏やかな風情の一本道だった。その先をちょっと右に曲がったところに当時は別荘と呼ばれていた家が二、三軒あった。私たちが借りたのはそのうちの一軒で、大家さんのおじいさんが住んでいたらしい。八畳と六畳二間のちいさな家だった。玄関の隣の六畳が父の書斎になった。父は一応物書きを仕事にしていたからいつもそこで仕事をした。お客さんが来ると母や私より先に父が顔を出すので東京から父のところに来る人は当惑したらしい。
 この家がある夏、大雨で家周りが全部水になった。道より一段と高かったその家はおかげで水害には逢わなかったが、朝、起きると周りの石垣の下まで水がひたひたと寄せていたのには 驚いた。当時五年生で、国語の教科書に高松城の水攻めの話が出ていて、私はそれが大好きだったからひとりで喜んでいた。もっともあの時その場にいた大人たちの中で身の危険を感じた人は一人もいなかったと思う。当時は自然と共生すると言うのはごく当たり前だったのではないか。今のように消防団もなく、自然との共生がごく普通のことだった。身構えるわけでもない。今はお互い対峙し身構えている。自然を傷つけているのは人間に他ならない。やたらにハイウエイをつくり高速鉄道を走らせ、効率と利益しか考えない人間に自然が愛想をつかしたとしても当然のことである。人間が手を加え便利に使いやすくするたびに自然はかなしそうに身を縮めていくことを私たちはわきまえるべきなのだ。ここ何十年もの間に何度も起きている自然災害は、どうしても人間が自らの手で安全なくさりをひきちぎったむくいではないかと思えてしかたがない。




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