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日めくり汀女俳句 №44 [ことだま五七五]

五月六日~五月八日

          俳句  中村汀女・文  中村一枝

五月六日
青嵐住みなすといふ日数(ひかず)かな
               『紅白梅』 青嵐=夏
 会社にも学校にも縁がなくなった老夫婦の生活でも、週始めと週末とでは何となく心持ちが違う。若い人が花金(はなきん)とか、花木(はなもく)とかいう夜になると、外へ行くわけでもないのに浮き立ってくるものがある。今や土曜も日曜も関係ない身分なのに、ざわめいている町の空気に乗せられて足の運びも軽やかだ。
 ようやく曜日に関係のない身分になれて気楽だと思っていた矢先、伏兵があった。ゴミの収集である。分別ゴミはいつ、可燃ゴミは、資源ゴミはビンの回収は……。おかげで私の頭のゴミ一覧表は無休で稼働している。

五月七日
エーデルワイスと声に乗せけりたのしげに
        『軒紅梅』 エーデルワイス=夏
 エーデルワイスは日本ではミヤマウスユキ草と同じ品種と言われる。八ヶ岳の高原にも夏になるとよくみかける。先端が細っそりととがった乳白色の目立たない花だがそこはかとない気品が漂う。ひっそりとしているが凛然という気配。
 確かオーストリアの国花だった。
 山の花は園芸栽培された花たちと違って自主独立の精神というか、内に秘めた闘志のようなものがあって、見あきない。
 ひそやかでいて存在感がくっきりしている。冬の風雪にも耐、え、自然のままに生きる花の自信だろうか。

五月八日
兢豆(えんどう)飯灰(ほの)かに灯虫来そめし夜
        『紅白梅』 豆飯=夏 灯虫=夏
 豆のご飯が好きである。塩味で炊いても、薄い醤油味でもいい。豆の青っぽい匂いが炊き上がったご飯にほのかに残るこの味わいがいい。
 終戦直後、幼ななじみの男の子が、突然亡くなった。彼は母親の連れ子で、新しい父親が厳しい人でつらい思いをして育った。当時の貧困な医療事情のせいで手当てが遅れた。
腸閉塞だった。十一歳の少年である。貧しいアパートのミカン箱の上に飾られた人なつっこい笑顔が涙で曇った。あの子が好きだった豆飯を、と出された豆ご飯。塩辛い涙が、お米の中にしみていった。

『日めくり汀女俳句』 邑書林

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