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いつか空が晴れる №69 [雑木林の四季]

        いつか空が晴れる
             ―Joe’s Blues-
                     澁澤京子

 その日は雨が降っていた。カウンターのテーブルの下に引っ掛けておいた濡れた傘が何度か足元に落ちたのを覚えている。

百軒店を上ってそのまままっすぐに細い路地を行くと、つきあたりに「安吞(あんのん)」というカウンターしかない飲み屋があって、横には小さな神社がある。
店にいるのは、私とN田君とK君の三人だけで、二人とも浪人生だった。
「『ガルシアの首』を墓から掘り起こすシーンがあるだろう?あそこのシーンがすごいなんてもんじゃない・・」
酔っ払ったN田君がサム・ペキンパー監督の『ガルシアの首』について、ひとり饒舌に語っている。
『ガルシアの首』は、ある大地主が、娘を妊娠させてしまった男の首に100万ドルを賭ける、賞金を巡って何人もの人間が殺される・・というストーリーだ。名誉とお金を巡ってのすさまじい殺戮が繰り広げられる・・
時折、相槌をうつK君。

私は自分の傘をどこに置いたら一番安定するかということに半分気を取られた状態で、N田君とK君の話を聞いていた。カウンターだけの狭い店なので傘の置場がないのだ。濡れた傘を足元の床にそのまま横にして置くのも抵抗がある・・

「いやあ、ペキンパー最高!」真っ赤な顔でますます上機嫌になって喋りつづけるN田君。バイオレンス映画を好きだと言っても、N田君は友人の中では一番温厚な性格で、機嫌がよくなると、ダジャレを連発しては、一人で愉快そうに笑っていることが多い。
そして、皆は汚いジーンズを履いてたけど、N田君だけブルックスブラザーズのジャケットにチノパンを履いたりして、なかなかのお洒落でもあった。

友人たちがN田君のために作った「N田のブルース」というギターで弾き語る歌があった。
~おれはN田だ 19になった~ ボロロン
 19になって初めて言った冗談は 「山手線まだかな?」「いやまて。まだだ」・・ボロン
 ・・・面白いねえ・・ボロロロ~ン~

誰も聞いてなくても、ダジャレを言っては一人で上機嫌に愉快そうにいること。それはよほど自意識のない無防備な状態じゃないと、なかなかできないことではないだろうか?
身だしなみには人一倍気を使うN田君も、ダジャレが出るときはとても無邪気だったのだ。
そして、バイオレンス映画とハードボイルド小説が好きだった。

世間では暴力というものは露骨にふるうわけにもいかないので、代わりに他人を責めたり糾弾する、あるいは貶めるとか嘲笑して相手を打ち倒すという、日常でよく見られる光景に変化することがある。
N田君は映画のバイオレンスは好きだけど、そういった変形した日常での暴力は苦手とするような実に温厚な人物だった。もしかしたら、そういった女々しい暴力は彼の「男の美学」に反するものだったのかもしれないが・・

今度は椅子の小さな背もたれに掛けておいた私の水色の傘がバサッと派手な音を立ててまた落ちたので、私は椅子を降りて拾ってから、ついに観念して傘を左手に持つことにした。

N田君は相変わらず上機嫌でしゃべっている。
「最近、ジョー・パスを聴いてるんだよ。」
「ジョー・パスか。シブいなあ・・」
「いやあ、しみじみと聴くとこれがまたいいんだ!すごく胸にしみるんだ・・」
N田君はしみじみというより、この上なく上機嫌に紅潮した笑顔でジョー・パスについて語り続ける・・
一人でも楽しそうにダジャレを飛ばしては朗らかに笑うN田君と、ジョー・パスのしんみりとしたソロギター。

話題はサム・ペキンパーからジャズギターの話になって、夜は静かに更けてゆく。

一日中冷たい雨の降る、秋の夜のことだった。




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