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ケルトの要請 №11 [文芸美術の森]

メロー 2

             妖精美術館館長  井村君江

 クー・マラというのが、その年とったメローの名前だった。
 クー・マラが指定したその日、ジャックはふたりが最初に出会った場所に出かけていった。
 クー・マラは赤い三角帽子をふたつ小脇に抱えていた。コホリン・ドルユーと呼ばれるその帽子は海に潜るために必要なのだとクー・マラは説明し、帽子をジャックの頭に被せた。
「さあ、ジャック、飛びこめ」
 岩は切り立っていて波は渦を巻いている。ジャックはおずおずとそこに立ちつくしてしまった。
「臆病者め、おまえはおじいさんの足元にも及ばないぞ」
 クー・マラは軽蔑したように言った。
「でも、水のなかでは息ができやしない。おぼれっちまいますよ」
「むかし、おまえのおじいさんは、いちどだってそんなことは言わなかったぞ。ものおじせずに、なんどもわしのあとから潜ってきて、酒を飲んだり、ごちそうを食べたりして帰ったもんだ」
「おじいさんより気っぶが悪いとなった日にゃあ、これからずっと恥ずかしい思いをしなきゃならない」とジャックが思い悩んでいると、
「さて、いいかな、ジャック。この帽子を被っていれば、水に潜ることができるんだ。だからしっかり頭に被り、目をしっかり開けて、わしのあとについてくるんだぞ。そうすれば、まあ、いろいろなものが見られるってわけだ」
「まっ、そういうことなら話は別だ」
 クー・マラはジャックに合図をすると、水に飛びこんだ。ジャックもあとにつづいた。I
 ふたりは水のなかをずんずん潜っていった。でも、ジャックはどこまでもぐってもきりがないように思えた。家の暖炉の火の前に妻のビディと座っていたほうがよかったような気さえしてきた。しかし、いまとなっては、クー・マラのすべすべした尻尾を必死につかまえているよりしょうがなかった。
 水のなかを海の底へ気が遠くなるほど潜っていった。そしてついに、ジャックとクー・マラは海底の陸に着いた。そこはクー・マラに出会った洞穴ほども水気がない、さらさらと乾いた砂と空気の世界だった。
 あたりを見まわすと、砂の上のあちこちを歩いているカニやエビが見えた。頭上には水の空が弧を描いて広がっていた。魚たちが、地上の鳥のように、海の底の空を泳いでいた。ふたりは、貝殻で屋根をふいた、色とりどりの光を受けて輝く家の前に立っていた。煙突からは紫の煙りが立ちのぼっていた。
 家に入ると、まず立派な調理場が目についた。鍋やフライパンが並べられ、ふたりの若いメローが料理に精をだしていた。
 それから地下室に案内してくれたが、そこには大小の酒樽がたくさん並べられていた。「どうだい、水の下でも気持ちよく暮らせると思わないかね」
 暖炉の火が赤々と燃えている部屋に入ると、食事の支度が整っていた。
「さあ、今日の献立を見てみよう」
 クー・マラは言った。
 選りに選った魚料理であるのは当然だった。ヒラメ、チョウザメ、カレイ、エビ、カニ、
カキ、ほかに二十種類もの魚料理がいちどに供された。それから貝殻の盃に満たされたブランデーと、さまざまな風味の酒がふるまわれたが、なぜか、ワインだけはメローの口に合わないらしいことがわかった。
 飲んで、食べて、すっかりごきげんのよくなったクー・マラは、
「ラム・ファム・プードウル・プー、リップル・ディップル・ニッティ・ドオブ……」
 と人魚語で歌を歌ってくれたが、ジャックにはどんな意味やらさっぱりわからなかった。
 しばらくすると、こんどは「珍しい物を見せよう」と言って、小さな扉を開けてみせた。
 そこには航海中に海の底に沈んでしまった骨董品や、がらくたとしか見えないようなものがおかれていた。
 なかでも何に使うものかジャックにわからなかったのは、柳の枝で編んだ籠のようなものだった。エビをつかまえる寵に似ていなくもないが、どこかちがう。
「どうだね、ジャック。わしの珍品が気にいったかね」
「いやあ、すばらしいものですね。だけどあの龍はいったい何なんですか。何か大切なものが入っているのですか」
「あれか、あれにはわしが集めた魂が入っているのさ」
「何の魂ですか。魚は魂をもっていないじゃないですか」
「むろん、そうじゃ」
 クー・マラは冷静に言った。
「魚には魂はない。あの龍に入っているのは、溺れて死んだ船乗りたちの魂さ」
「なんですって」
 ジャックは驚いて叫んだ。
「嵐にもまれた船が沈みかけているとき、わしはこの龍を水のなかにまき散らすのき。すると、かわいそうに溺れて身体から離れ、水のなかでさまよっている船乗りたちの魂が、どこにも行く当てがなくて、この龍のなかに迷いこんでくる。寒さに凍えているものもいるよ。それからわしは、魂の入った龍を集めて家に持って帰り、ずっとここにおいておくのさ」と、なにごとでもないようにクー・マラは言ってから、
「魂はここにいるのがいちばん幸せなんじゃよ」
 と言った。
 そのときジャックは、龍のひとつから悲痛な叫び声が聞こえたように感じた。
 天上に昇るべき魂が深い深い海の底に閉じこめられているのだと思うと、なんだか哀れに思えてきた。
 言葉が見つからないまま、時がたった。
 ジャックは、そろそろ家に帰りたいと言った。
「よかろう」
 クー・マラは言った。
「その前に一杯やっていけ。冷たい水中の旅が待っているからな」
「家まで無事に帰りつけるんでしょうね」
 盃を上げながら、ジャックはたずねた。
「心配するこたあないよ。わしが教えるように行けばいい」
 ふたりは家の前に出た。クー・マラは赤い三角帽子をジャックの頭に被せ、自分の肩にジャックを乗せると、
「飛びこんだ岩のところにあがっていくからな、そしたら忘れずに帽子を海に投げこむんだぞ。それから、またわしに会いたくなったら、あの岩から大きな石を投げこめばいい」
 と言い終わるや、ひょいとジャックを頭上の水のなかに放り上げた。
 ジャックは泡粒のようにすいすいと、海面めざして浮きあがっていった。顔がどんどん水をよぎるのを感じ、ついに、さっき飛びこんだ岩のところにぽっかりと顔を出した。急いで岩にはいのぼり、帽子を海に投げこむと、それはまるで石のように沈んでいった。
 おだやかな海上は、黄金色の夕日に照らされていた。雲ひとつない空には星が美しく瞬きはじめていた。ジャックは、妻が待ちわびているだろうと家路を急いだ。(つづく)

『ケルトの妖精』 あんず堂

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