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いつか空が晴れる №67 [雑木林の四季]

           いつか空が晴れる
            -二百十日―
                         澁澤京子

 朝起きて、雨戸をあけると庭に折れた木の枝がたくさん落ちていた。ゆうべの台風はかなりすさまじかったらしい。
台風が去ると猛暑がぶり返し、私は禅仲間のN子さんの絵が展示されてる六本木の美術館に向かった。ハンカチで額の汗をぬぐいながら歩く人の多い、蒸し暑い日だった。
N子さんは蓮の花をテーマにずっと描きつづけていている画家で、今年はどんな蓮の花になっているかいつも楽しみにしている。

枯れた蓮の背景にはすこんと抜けるような青空と海。

毎年、彼女の蓮はどんどん枯れていく一方で、何か心象風景が反映されていくものなのだろうか?一番年長のF森さんがその枯れた蓮に似合っているということで、ニコニコしたお人好しの丸顔のF森さんがその絵の前に立ち、写真を撮る。
といっても、他の人もみな白髪まじりの頭髪になっている年齢、誰が年長も何もないのだけど。

集まったのはみんな参禅歴の長い人たちばかりで、私を含めて還暦を越した人ばかり。
お昼に入ったミッドタウンのインド料理屋はビュッフェスタイル。何種類ものおいしそうなカレーやトッピング、デザートや果物、インド料理の好きな私は夢中になってお皿にとった。

最近、老師(禅の指導者)の体調がすぐれないことから話は始まった。
「背中が痛いってことは心臓ですね。」
「心臓か・・」
「独参(禅の個人指導)はどうなるのかしら?」
「永平寺がまた他のお坊さんを選ぶんだろうな。」
「W谷さんも、最近体調悪そうで、しかも・・同じ話を何度も繰り返すようになったんだよ・・認知症じゃないかな?」Oさんが声を潜めて言う。W谷さんも古参者のひとり。
「アラ、W谷さん、あの方って昔からそうだったわ。」と答えるのはやはり古参者のKさん。
「同じ話を繰り返すのは僕の知り合いにもいますよ。」
「嫌だ、うちの主人もそうだわ!人に何かを教える仕事をしていると、どうしてもそうなるのね。」Kさんが笑いながら言う。彼女の御主人は大学の先生なのだ。
「何度も何度も同じことを生徒に言っているとそのうち癖になっちゃうんだわ。」

「それにしてもうまいな、これ。」
「接心(泊まり込みの坐禅会)の時は緊張してこんなに食べられませんね。」
「沢庵を噛む音がちょっとぼりってしただけで、老師に何やっているんだ!そこ!って怒鳴られたことがありましたよ。」
「沢庵はお湯につけてふやかしてから音を立てずに飲み込むようにして食べるのよ。」
参禅歴の長い人ほど、ご飯をお代わりする余裕ができるけど、私は普通の人の半分の量で精いっぱい。お箸や食器で少しでも音をたてるとたちまち怒声が飛んでくるので緊張のあまり食べた気にならないのだ。

「Hさんは浄人のとき、ご飯をこんもりとよそいすぎませんか。」浄人というのはある程度経験のある参禅者がお給仕の役をすることで、私はあまりにもおかゆの給仕が遅いということで、老師に叱られ、浄人をクビになったことがあった。たくさんのおかゆが入った重いお鍋を持ってみんなの前できちんと作法通りにお給仕するのは至難の業で、緊張のあまりお鍋を落としそうだったのだ。あんなに緊張したことはない・・・

そのうち、新参の参禅者に厳しいOさんの事が話題になる。いつも陽気で口が悪いけど、老師の前では大人しいOさん。
「上司には優しく、部下には厳しいタイプだな、」
「そうよ、そうだわ、Oさんってそういうところあるわ!」
Kさん、N子さんと私が笑い転げる。
毒舌家のOさんは女性陣にやり込められて無言になる。Oさんはロシアに駐在していた商社マン。私に丁寧に英語を教えてくれたこともあったし、本当は部下にもとても親切な人なのだと思うけど。

接心で何日も泊まり込みで同じ釜の飯の仲間だと、気の置けない軽口を交わすのに、ちょうどいい関係になる。
禅味とも禅問答とももかけ離れた、おじさんとおばさんの無意味でクダラナイ会話が延々と続き、そのうちにお開きになった。

私は狸穴の事務所に行くというOさんと六本木の交差点で別れて、渋谷行のバスに乗った。
バスの窓の外の風景がゆらゆら見えるほど蒸し暑かったけど、どことなく秋の気配のある爽やかな一日であった。


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