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論語 №81 [心の小径]

二六〇 顔淵(がんえん)死す。順路、子の車を請いて以てこれが椁(かく)を為(つく)らんとす。子のたまわく、才も不才も亦各(おのおの)その子と言うなり。鯉や死せしとき、棺(かん)有りて椁無かりき。われ徒行して以てこれが椁を為らざりしは、われ大夫の後に従うを以て徒行すべからざればなり。

                法学者  穂積重遠

 顔路は顔回の父、名を無ヨウという。孔子様がはじめて教えた時の門人で、六歳の年少。「鯉」は孔子様の子なる伯魚(はくぎょ)の名。誕生の時、魯の君から祝いに鯉魚を賜ったので名づけたという。お気の毒ながら賢とはいえなかったらしい。「才不才」と言われたのは、「お前の子は賢く、わしの子は賢くないが」の意味をふくんでいよう。

 顔淵が死んだ。父の順路が貧しくて外棺がととのえられないので、孔子様の皐を譲っていただきそれを金にかえて外棺を買いたいと願った。愛弟子のことだから承知されるかと思ったところ、孔子様はそれをことわっておっしゃるよう、「子が賢くても賢くなくても、せめて葬式ぐらいはりっぱに出してやりたいと思う親の情には変りがない。わしの息子の鯉が死んだときも、内棺は出来たが外棺がととのわなくて気をもんだことがあるので、お前の気拝はよくわかるが、車を売ってかちあるきをしてまで外棺を買おうとしなかったのは、わしも大夫の末席をけがしているので、職掌(しょくしょう)がら車なしに徒歩で出勤というわけにもゆかなかったからだ。お前も身分相応のところで、外相なしに済ませたらどんなものだろうご

 顔回が先生に卓を売らせてまで葬式をりっぱにしてもらって喜ぶはずはないのに、その気持がわからないとは順路もかなり「不肖(ふしょう)の父」だ。孔子様は外棺の有無はお前の息子のねうちに関係ないぞよ、という意味をふくめて、車を与えることを拒絶されたのであろう。情によって理を曲げない孔子様がよくあらわれている。

二六一 顔淵死す。子のたまわく、噫(ああ)天われを喪(ほろ)ぼせり、天われを喪ぽせり。

 顔淵が死んだ。孔子様がなげき悲しんでおっしゃるよう、「ああ天がわしを亡ぼした。天がわしを亡ぼした。」

 孔子様時に七十歳、道の後継(あとつぎ)として頼みに頼んだ愛弟子に先立たれたのだから、わしもこれでおしまいじゃ、と思わず最大級の言葉が出たのも無理はない。しかも二度くりかえしたところに無限の痛恨がある。おそらく顔回の死を知らされた瞬間の言葉だろう。

二六二 顔淵死す。子これを哭(こく)して慟(どう)す。従者いわく、子慟せり。のたまわく、慟することありしか。かの人の為に慟せずして、誰の為にかせん。

 顔淵が死んだ。孔子様がとるものもとりあえずその家に駆けつけ、霊前で声を上げて 「哭」された孔子様としては「哭」されたのみならず 身もだえして前後不覚に絶え入るばかり「慟」された。孔子さまとしては珍しいことなので、帰宅されてからお供に行った内弟子が、「先生は先刻慟哭なさいました。」と告げたら、孔子様がおっしゃるよう、「そうか、慟哭したか。あの人のために慟哭しないで、誰のために慟哭しようぞ。」

 「哀(かな)しんで傍らず」(六〇)の孔子様が慟したことに気がつかなかったのだから、従者が驚いたのも無理はない。


『新訳論語』 岩波文庫


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