So-net無料ブログ作成

ケルトの妖精 №10 [文芸美術の森]

メロー 1

             妖精美術館長  井村君江

 アイルランドのクレア地方、エニスの近くの海辺に小さな小屋を建てて、ジャック・ドパーティーは妻のビディと住んでいた。むかしからドパーティー一族は、ここで漁をしながら暮らしてきたのだ。
 村人は、ジャックがなにを気に入って荒涼とした岩ばかりの入江に住んでいるのか不思議がった。
 しかし、長年ここに居を構えてきたドパーティー一族からすれば、この地方で豊かに暮らせる場所はここ以外にはないことを、村人が知らないことのほうが不思議だった。
 この入江は、岩棚が外海に向かって伸びていて、岩礁がたくさんあった。強い西風が吹いて大西洋が荒れると、このあたりを航行している船は、きまって入江に吹きよせられる。岩礁で底に穴をあけられ、船がバラバラになってしまうと、綿やタバコの箱、ワインやラムの大樽、それにブランデーやジンの小樽など、船の積み荷が入江に流れついてくるのだった。
 ジャックはけっして船の不幸な運命を望んでいるわけではなかったから、ときとしては小舟を出して嵐のなかを難破船の救助に向かうこともあったし、遭難した人を助けて親切にもてなすこともあった。
 だが、嵐の去ったあとに乗組員の姿も見えず、バラバラに壊れた船や積み荷の樽や箱が流れつくのを見たとき、これを拾ったところでだれがジャックを責められるだろうか。
 こういうわけでジャックは、漁師の稼ぎではとうてい得ることのできない、高級な酒や高価な品々を楽しむ暮らしができたのである。
 この入江のあたりにはまた、人魚(メロー)が住んでいることをジャックは知っていた。
お父さんもおじいさんも、メローをよく見かけたと話していたので、ジャックもいちどは会ってみたいものだと思っていた。
 ある日ジャックが入江を岩つたいに歩いていると、岩の上になにやら得体の知れない生き物がいる。人のようでありながら、身体は緑色。頭らしい部分には赤い三角帽子を被っている。
 ジャックは足を止め、長い時間その不思議な生き物のようすを見つめていた。その生き物はのんびり海を眺めているように見えたが、ジャックに気づくととつぜん岩を蹴って波のなかに消えてしまった。
「メローにちがいない」、とジャックはなぜか確信した。
 その日からジャックは、その生き物がメローであることをもういちど確かめたくて毎日入江へ出かけたのだが、巡りあうことはなく、そのうちに自分が夢でもみたのではないかと自信を失いかけた。「しかしもういちどだけ」と、ある日、嵐にもかかわらずあの岩まで出かけていった。
 土地の人間ならだれでもそうだが、ジャックもこれまで、こんな風の日にわざわざ出かけるなんてことはなかった。
 波が岩をかじりとらんばかりのすさまじい形相で猛っていた。荒れ狂う風に吹き飛ばされそうになりながらも、メローを待つジャックの思いが通じたのだろうか、あの緑色の身体をした生き物が、波をくぐって姿を現したではないか。
 大波に乗って岩にはいあがったかと思うと、つぎには怒涛のなかに身を踊らせている。ジャックは波と遊んでいるメローをいつまでも眺めていた。
 メローに会ったことが夢ではなかった、と安心はしたものの嵐がおさまったおだやかな日々のなかで、ジャックはこんどは「メローともっと親しくなりたい」と願うようになっていた。この入江に住みついたジャックのおじいさんが、メローと兄弟のようにつきあっていたという話を思い出したからである。/
 そこでジャックはある風のはげしい目、波しぶきを浴びながら岩場をつたってメローの岩をめざしていった。/
 ところがこの日の風はいつもにまして強いばかりでなく、真っ向から吹いてきて、ジャックは一歩も前進できなくなってしまった。しかたなくどこかで風の弱まるのを待とうと見わたすと、洞穴が口を開けている。なかに入ってホッとひと息つき、あたりを見まわしてみると、目の前で、緑の髪と緑の歯、赤い鼻と丸い目をした奇妙な生き物がうごめいている。ジャックは腰を抜かさんばかりに驚いた。暗闇に目が慣れてくると、その生き物の下半身は魚の鱗でおおわれ、先端が魚の尾状になっていることも判別できた。さらに、いつか岩の上で見た三角の赤い帽子を抱えているのが見えた。
 こわさが先にたったが、メローだとわかった。
「思いきって話しかけてみよう」と、ジャックは心に決めた。
「こんにちは」
 腰をかがめて口を開いた。
「やあ、ジャック・ドパーティー、こんにちは」
 メローが答えた。
「ジャック」と名前を呼ばれたので、ジャックは驚いた。
「どうしてわたしの名前をご存じなんで」
「知らないわけがなかろう、ジャック・ドパーティー。わしはおまえのおじいさんを、おばあさんが嫁にくるまえから知っておった。わしはおじいさんが好きじゃった。兄弟みたいなものじゃったからな」
 と笑って、話をつづけた。
「おじいさんは貝殻に注いだブランデーの飲みっぷりなんぞ、酒にかけちゃあ、たいした男だったよ。このエニスの浜辺のあたりじゃ、かなうものなんてひとりもおらんかった」
 それからジャックの顔を見ながら、たずねた。
「ジャック、おまえもおじいさんのように酒をやるのかい」
「酒なら負けませんよ。ただし、高級な酒にかぎりますがね」
「そうかいジャック、おまえの男らしい話っぶりが気にいったよ。こんど一緒に飲んでみるかね。おじいさんのよしみってこともあるからな」
「でもあなたは海のなかにいるのに、どうやって酒を手に入れるんですか。塩水のブランデーなんてごめんですよ」
 メローはいたずらっぼく笑って言った。
「そういうおまえはどうやって手に入れてるんだい」
「なるほど」
 ジャックはメローも自分とおなじに、難破した船から流れだした酒の樽を拾い集めているのだと知った。
「では、あなたも海の底に立派な酒蔵をおもちなんですね」
「そりゃそうさ。こんどおまえがここに来たら、一杯飲みながら、わしの酒蔵を見せてあげるとしよう」(つづく)

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。