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過激な隠遁~高島野十郎評伝 № [文芸美術の森]

激動の時代に反撃する野十郎 1

        早稲田大学名誉教授  川崎  浹

 少し話は戻るが、昭和元年(一九二六)、前倒し式の宣言をした「一九三〇年協会」が発足、児島善三郎、佐伯祐三らメンバーは三十歳前後で、「陳腐な自然主義的写実の清算」を公約の目標にしていた。
 高島野十郎のような「自然主義的写実」様式は目の仇にされたことになる。
 三十代半ばの野十郎は二年ごとの発表という制作日程からすれば、この年、昭和元年(一九二六)にはなんらかの形で出品されなければならないのだが(とはいえ、未発見の個展があるかもしれないが)、どこにも出品していないのは、なおしばし自分との格闘がつづいていたのだろうか。その二年後かれが「黒牛会」の結成に参加し、昭和三年(一九二人)、四年、五年と連年で開催された「黒牛会」展に出品した作品が好評を得ているの
は、その結果がでたと見ることができる。昭和四年(一九二九)の『みづゑ』四月号には次のような「黒牛会」第二回展評が掲載された。
 「高島野十郎氏、氏の作品の前に立つ時自ら作家の真摯な敬慶な心を実感せずにはいられない、しかも信仰的である。《壺とリンゴ》最も優れていると思う。《秋の夜》と《早春深夜》は少しく感傷的であると同時に作家の内観上に何物かの苦悶が往来しているかに感ぜしめる、悩みのない処に光りは無い、作家の精進を祈る」。
 次回、翌昭和五年(一九三〇)の『みづゑ』四月号では、「黒牛会」展のなかで野十郎の絵を筆頭にとりあげ、高い評価をあたえている。
 「黒牛会も第三回となり(省略)、昨年よりも総体的に緊張し出品点数も多く充実さを示されたのは同会の進境である。高島野十郎氏はデューラー張りの写実家であるが、真剣な態度で自然を視つめている点において敬服する。《葡萄のある静物》は内容もあり手法として優れていると思う」。
 前回の「黒牛会」展での批評は「作家の精進を祈る」というのもので、野十都の画業に進歩の余地が残っていることを好意的に匂わせていた。しかし今回の展覧会では「作家に敬服する」として、画家の画境がいちだんと成熟し、すでに定着したことを認めている。
こういう定点観測を思わせるような批評を書いたのは、おそらく前回と同じ評者だったにちがいない。こうした感想は現在の野十郎愛好者がいだく印象にちかいものであり、画家の姿勢の基本をおさえている。
 残念なことに、『みづゑ』の批評を野十郎は目にすることができなかった。第三回「黒牛会」展の開催も『みづゑ』の批評も野十郎が渡欧で出航した二、三ケ月後のことなので、かれの手もとに届くのは、かなり後のことだったと思われる。
 「黒牛会」は特定の信条があったわけではないらしく、会員との間につよい結びつきもなかったので、その後の会報告もないまま自然消滅のようにして消えている。
 戦前の美術グループが多彩な活動をなしたことについてここでは書ききれないが、昭和四年、つまり「黒牛会」第二回展が開催された年の九月、パリで国際的に有名になった藤田嗣治が十七年ぶりに日本に帰国した。かれは「院展、二科素通りの記」で日本人画家に絵について、まるでパリのサロン・ドートンヌにいると錯覚するほどスゴンザック、シャガールやルオーやデュフィやブラックの影響が露わであると批判的な感想をのべている。
 そういう藤田に野十郎の絵を見せたらなんと言っただろうか。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍堂

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