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Challenge 100 Tears! №2 [雑木林の四季]

 はじめての救急車                                              

               映像作家  比留間亨一

 生まれてはじめて、救急車のお世話になった。
 ご近所の皆さんにも、驚かしてすみません。先ずは、救急隊員の皆さんに、感謝の言葉を捧げたい。自宅の2階から狭い階段を7人がかりでおろす苦労は、さぞかし大変なことであっただろう。
 後期高齢者の寝室は、非常事態を考慮し、なるべく一階にすべきだろう。
 救急車のご厄介になった病因は、突発的な老人性肺炎で、早朝目が時、意識はあったのだが、身体の自由がまったく効かない状態で、我ながらどうしようもない状況だった。
 7人の救急隊員のテキパキとした態度に改めて深く感謝の念を禁じ得ない。
 しかし、受け入れ先の病院がなかなか見つからなかった。救急車の中で隊員の冷静なやりとりを混濁した意識聞き、心中で手を合わせた。
 あなたの年齢は?今日が何日・何曜日がかわかりますか?。何も答えられなかった。
 結局のところ、いちばん遠い総合病院に担ぎこまれたのだが、薄れ行く意識のなかで、この状態が痴呆老人への一里塚だと悟った。
 そのままでは痴呆化への坂道を転げ落ちて行くばかりだ。寒々とし恐怖感が心底からわき上がってきた。俺はまだ正気なのだ。
 「焦っちゃいかん」とは思うが、あとはまさに(まな板の鯉)の如く、ストレッチャーの上で、のたうつこともままならず、担ぎこまれた救急室のなかで、なされるままだ。
 と言っても、救急医も看護師たちも人権を尊重した対応に、気持が少し安らぎをとりもどした。患者の容体はともかく、救急処置には一定のルールがあるらしく、病名が判明したのは、入院が決まったあとのことだ。まさに、生命維持か重視第一主義。
 2週間経過したいま思えば、実に見事な連携作戦だった。しかし、70年以上も当地に居住しながら、すぐ近くの総合病院に入院させて貰えなかった不満が心の底に残り、たらい回しにされかけた救急隊員と心境を共有した。他人事とは言えども、「刹那的には運命共同体」だったのだから・・・。
 しかし何と言っても、しっかりしなければならないのは、ご厄介になる本人であって、精神力の強さが痴呆の淵から救ってくれるのは確かだろう。
 救急でいざ入院となれば、全て病院と救急医任せだ。はじめてオムツをされ、一人でトイレにも行くことができない。しかし人間というものは不思議なもので、何からなにまでお世話になると、ごく自然に担当医と看護師たちに屈伏してしまい、己の羞恥心など、どこかに吹き飛んでしまうものだ。とくに、縮み上がったオチンチンの尿道から管を差し込まれた羞恥心は、これこぞ痴呆への分かれ目と覚悟した。 
 男なぞ、ふだんは、ふんぞりかえって威張っていても、いざとなると例外なく弱虫なもんだ。
 それと、病院のメシは例えようもなく不味く、少しでもオカズに汁があると、お粥に混ぜて啜る食べ方を編み出した。でも、いちどだけ、「地中海式健康和食」なる献立が出たときは感激するほど美味く、「病院でもこんなことがあるんだ」と感謝感激。
 そう思い起こせば、看護師には見えない絶世の美人が、病院の食事に関して、いろいろ質問された記憶があった。
 文字通り寝たきりの入院生活は、まさにテレビっ子そのものだ。
 テレビ局に勤務時代は、自分の担当する番組とニュース以外は殆ど観た記憶がない。
しかし、病院のベッドの上は、この上なく楽といえば楽ちんなんだが、日一日と自己凋落して行く己がまたと不甲斐ない。
 病室の白壁から、痴呆症を誘惑する魔の手かが伸びてくる夢を見る。
 M先生、「これ以上、認知症患者を生まないでくだいよ。ただでさえ大変な時代何ですから」
 大部屋の病室は、夜ともなると、さながら夜の動物園の如し。政治家は、「人生100」なんて、ホンマによう言うわ。皆、好んで生きているんとチャウにな。
 一刻も早く退院して、この場を逃れたかった。物腰の柔らかな若き担当医のMさんは、にこやかに笑っていた。さもあろう。眼を背けたくなるような高齢老人の姿が、其処ここにあり、無事病因を脱出し、オシメが取れた快感は、言うまでもなし。
 しかし、発熱もなかった肺炎で、さながら(蛸の八ちゃん)のような姿になったのば事実であって、自分の意志ではどうにもならない後期高齢者の姿を、世に晒したのは事実であり、老化現象とは(げ)に恐ろしき醜態であった。 (了)


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