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日めくり汀女俳句 №40

四月二十四日~四月二十六日

         俳句  中村汀女・文  中村一枝

四月二十四日

手をふれて朝は朝の香ライラック
           『紅白梅』 ライラック=春
 昭和七年当時の横浜は活気にあふれた港である。外国船の寄港も多く、異国文化の入りやすい町でもある。船の集う埠頭、山下公園、元町、外人墓地、何もかもが汀女には目新しい。オデオン座で見た初めてのトーキー、汀女は常連になった。
 「私はデートリッヒがやけによっばらってちょっと歌ふ鼻声が好きで『モロッコ』を三度見に行った。デートリッヒが、クーパーの兵士をたづねて酒場にあらはれた時、隣にゐた二人づれの本牧ガール型が『やって来たわ』といった……」。
 「花衣」にのった汀女の随筆である。

四月二十五日

春風に船は煙を陸)おか)に引き
             『汀女句集』 春風=春
 横浜という町はいつきてもいい。東京と近いから今は東京のベッドタウン化が進んでいる。それでも山手や元町、中華街、ふ頭の辺りを散策していると、横浜特有の風を感ずる。
 汀女はこの地に五年間も住んだ。今より以上に異国情緒に満ち、開明的な空気があふれていた二十前位の若い汀女にとって、毎日が心に触れる思いがあって、いい句が生まれたのだ。
 「お祖母ちゃんね、オデオン座って映画館、しょっ中行ってたみたい」「へえ、お祖母ちゃんってその頃ヤンママだったんだ」「?」

四月二十六日

帰るべき細道見えて夕桜
           『都鳥』 桜=春
 横浜の神奈川近代文学館で尾崎一雄文庫展が開かれていた。尾崎一雄氏は私の父と同姓だが親せきではない。しかし、結ばれた友情は血のつながり以上のものがある。
 戦争中一雄氏は体をこわし、郷里神奈川県内下曽我にこもっていた。父は空襲激化の東海道線に乗り、リュックを背負ってお見舞いに行った。帰りにはいつも野菜や梅干しのお土産(みやげ)。「いや、あいつんちはいい。家族がまたいいんだ」
 殺伐とした時代に父の唯一の息抜きの場所だった。その時の父の句、
  君の住むよき家にして風薫る

『日めくり汀女俳句』 邑書林

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