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医史跡を巡る旅 №59 [雑木林の四季]

「博愛精神のルーツをたどる・日本赤十字社の活動」

                      保険衛星監視員  小川 優

太平洋戦争終戦後、日本が戦争を起こすことはなく、また巻き込まれることはありませんでした。それ以前の度重なる戦争の時代に比べると、とても幸せなことです。そしてそのことは赤十字の使命である戦場での救護活動に、当事者として従事せずにいられたということになります。
必然的に、日本赤十字社の活動内容も変わっていきます。平時における赤十字病院の運営と、病院運営を通じた看護教育活動については、前回取り上げました。このほかに平時の活動の柱として、日本赤十字社が主体として関わっている事業には、災害時の救護活動と、血液供給事業があります。

「日本赤十字社創立七十五年記念」

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「日本赤十字社創立七十五年記念」~昭和27年(1952) 記念切手および記念押印

地震、噴火、台風、豪雨と日本は自然災害の多い国です。また国土が狭く、住宅が市街地に密集しているために一度火災が発生すると、大火となります。さらに多くの乗客が利用している列車、船舶、航空機が事故を起こすと、多数の死傷者が発生します。これらの現場で被災者の救護を行う際、現場周辺の医療機関だけではキャパシティの問題として、とても対応しきれません。一方これらの災害時医療は、平時の診療と大きく異なっており、災害時医療について教育訓練された医療従事者が必要とされます。
赤十字救護員はもともとが、戦時看護から発生しただけあり、こうした災害医療についてもエキスパートであるといえ、大きな災害が発生した際には、赤十字から医療チームが派遣されます。

「赤十字思想誕生百年記念」

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「赤十字思想誕生百年記念」 ~昭和34年(1959) 記念切手および記念押印

災害時の救護活動は、明治21年、福島の磐梯山噴火に救護班を派遣したことに始まります。磐梯山の麓、毘沙門沼には「日本赤十字社 平時災害救護発祥の地」碑があるそうです。
以後、戦前だけでも濃尾地震、三陸津波、関東大震災と大きな自然災害ごとに赤十字救護班は派遣され、多くの命を救いました。戦後も南海、福井、新潟、阪神・淡路、東北といった地震・震災や、台風や豪雨災害などの自然災害のほか、日航機墜落事故や桜木町、三河島などの列車事故にも出動しました。法律的には災害救助法や災害対策基本法が整備され、日本赤十字社は指定公共機関となり、災害時活動の責務を担っています。
また災害により被災した人々に対する災害救援物資の配布、被災地のための募金活動も行っています。

「赤十字100年記念」

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「赤十字100年記念」 ~昭和38年(1963) 記念切手および記念押印

もうひとつの血液事業は、輸血の有効性が広く認められるようになって、必要性が高まった事業です。
昭和5年(1930)、東京駅で濱口雄幸首相が銃撃された際、駅長室で輸血する応急的な処置を行って一命を取り留めたことで、「輸血」という言葉が広く知られるようになります。
その後戦地において失血死を防ぐために輸血を行うことも増えますが、あくまで命を救うための緊急措置という認識から、血液型の誤認による不適合事故や、血液を介する感染症の発生も相次ぎます。
また無償的行為であったはずの供血が、第二次世界大戦後には商業血液銀行を介して売買されるようになり、貧しい人々の売血行為を誘発しました。もちろん人間の造血能力には限りがあって、栄養状態や健康状態にも左右されます。造血能力を超えた頻繁な採血は、血球成分や濃度に影響し、輸血を受けた側にも輸血効果の低下というかたちで問題が生じます。いわゆる「黄色い血」です。
さらに昭和23年(1948)、東大病院において供血の病原体汚染に気付かぬまま、患者に輸血を行い、輸血による梅毒感染事故が発生します。また昭和39年には駐日米大使であるエドウィン・O・ライシャワー氏が日本人少年にナイフで刺されて重傷を負った際、治療の際の輸血を原因として肝炎を発症します。

「国際赤十字献血年」

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「国際赤十字献血年」 ~昭和49年(1974) 記念切手

血液の安全な供給が急務となり、昭和27年(1952)に日本赤十字社中央病院に日本赤十字社血液銀行東京業務所を開設、日本赤十字社による血液事業が開始されます。併せて昭和31年には「採血及び供血あつせん業取締法」が施行、輸血、医学的検査以外の、業としての人体からの採血が禁止されるとともに、供血あつせん業が許可制となります。
その後昭和39年、輸血用血液は献血により確保するよう閣議決定がなされ、日本赤十字社以外の民間商業血液銀行の血液供給が縮小、昭和49頃には献血による血液供給100パーセントの体制が確立されます。

「献血発祥之碑」

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「献血発祥之碑」 ~東京都渋谷区広尾 日赤医療センターバスロータリー植込み

日本赤十字社血液銀行東京業務所は輸血研究所、中央血液銀行と名を変えたのち、昭和39年(1964)に日赤中央血液センターとなり、平成18年(2006)に江東区辰巳に移転します。かつて日赤中央血液センターがあった日赤医療センターには、「献血発祥之碑」があります。しかし碑の由来については説明もなく、寂しい限りです。

「赤十字条約成立第七十五周年記念」

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「赤十字条約成立第七十五周年記念」 ~昭和14年 記念切手および記念絵葉書

日赤本社ビルの玄関ロビーには、赤十字の創始者アンリ・デュナンと、日本赤十字創始者の佐野常民の銅像が向かい合わせに設置されています。

「アンリ・デュナン像」

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「アンリ・デュナン像」 ~東京都港区芝大門 日本赤十字社本社ロビー

「佐野常民像」

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「佐野常民像」 ~東京都港区芝大門 日本赤十字社本社ロビー

戦争の時代に世界そして日本において、最初は戦時救護から始まった赤十字活動ですが、その分け隔てのない救済思想は現在もなお、脈々と受け継がれています。

「赤十字思想誕生150周年記念」

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「赤十字思想誕生150周年記念」 ~平成21年(2009) 記念切手および記念押印

これにて日本赤十字社の歴史を辿る、一巻の終わりと相成ります。

「今回の参考文献」

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「今回の参考文献」

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