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バルタンの呟き №61 [雑木林の四季]

      「ぼーっとしてるんじゃないよっ!」

               映画館億  飯島敏宏

鳴り物入りで登場した新元号令和は、当初こそは命名の経過や由来に、甲論乙駁、何かと騒がれたものの、国民の皆さまが、ボーっとしているうちに、なんと、今回の参議院選挙では、政党名にまで登場するに至りました。
さて、停滞と災害で締めくくられた平成はともかく、僕にとっての問題は、昭和です。経済成長のシンボルとしての昭和は残り、戦争の昭和は、時間の消しゴムで、ほとんど完全に消し去られてしまった、と感じているのは、昭和生まれの僕の僻目でしょうか。

8月は原爆、敗戦、いわば戦争の昭和の墓標が残された月です。でも、一年後に迫った2020TOKYOオリンピック・パラリンピック盛り上げの使命を負った、新聞、テレビなどのマスコミは、いまやオリンピック一色で、戦争の昭和をまともに取り上げる記事は非常に少なくなってしまいました。N党のモットーにぜひ掲げて貰いたい、とお願いしたくなるほど、公共のものとして有料で視聴しているNHKのテレビ番組にあふれかえっているのは、お笑いタレントや、食べ物と健康、薬品、サプリメントの番組が殆どです。その裏側に、いったいどれだけの政治問題、社会回問題が隠されているのか、と疑いたくなる実情です。
やたら多数の男性女性アナが登場して、いとも軽く、皆さまにお伝えするニュース番組の薄っぺらさにも、嘆かわしい感がぬぐえません。

いま、大東亜戦争中の(旧)朝鮮人徴用工問題が燻りはじめて、日韓、そして鮮の関係に最悪の状況を呈していますが。それこそが、消し忘れた昭和の埋み火の一つではないかと思うのです。戦後問題化した際にきちんと総括せずに、まあまあ、と鎮火の為の補償で済ませた結果が、この騒ぎです。しかも、どうやら今回も、日韓両国が正面だって話し合おうという気配は見られず、よその消防車に声をかけて火に油を注ごうとしか見えない政策を取る状況を、人気沸騰のチコちゃんではありませんが、ボーっとしてるんじゃねえよ!とでも言いたくなるような鈍感さで眺めている国民の皆さまの状況を見ると、ほんとうに平和ボケしているんじゃないかと心配になってしまいます。

ところで、少国民という言葉をご存知でしょうか。大正の元号が、昭和と変った時に、昭和のこども、といわれて新元号の寵児としてもてはやされた子供たちが、その後、戦争遂行の国策に翻弄されて、少国民と名づけられて、少年兵となるための錬成に明け暮れる日々を送る事になった世代の名称です。現在、80代後半から90代に差しかかる年齢層が、それに当たります。1932年生まれの僕は、まさにその少国民の一人です。
ちなみに、少国民とは、手元の辞書(広辞苑第七版)には、(第二次大戦中の言葉)、年少の国民の意で少年少女のこと。とあるだけで、小中学生向きの辞書(学研)には、少国民という項目すらも見当たりません。
そこで一念発起、ほぼこの一年間を費やして、初めて小説を書いたのです。決して、僕の自伝でもありませんし、同世代の倉本聰さんが、いまテレビや随筆で試みておられる「昭和の遺言」のような壮大なものではなく、ごく身近にあった、たった一人の少国民の死を主題に、僕の記憶に基づいて書きあげた小説に過ぎません。宣伝のそしりを受けるかもしれませんが、あえて申し上げると、この夏KADOKAWAから出版されることになったものです。
あくまでもフィクションですが、フェイクではありません。昭和のこども、少国民の一人として、いま書き遺しておかなければ、という使命感もありますが、「ウルトラマン」「泣いてたまるか」「金曜日の妻たちへ」などを手掛けてきた娯楽作家?として、おもしろく読んで頂くことを第一に心がけました。戦争ものイコール、暗い、重苦しいというイメージを跳ね除けたものになっていれば幸いです。

ところで、少国民という言葉の由来です。誰がどこで初めて使ったのかはわかりませんが、僕の知る限りでは、1930年代初頭に発刊された「日本少国民文庫」ではないかと思われるのです。
昨年あたりから大ヒットを続けている「君たちはどう生きるのか」も、吉野源三郎原作として掲載された文庫です。この作品は、山本有三、吉野源三郎ほかの「日本少国民文庫」の編集者が連名で書いた、少国民の生きて行く上での知識、教養を高めるための著作だったのです。主人公の少年とそのおじさんが、虐めその他の人生上の出来事を、精神的、哲学的、科学的に解明しながら成長して行く話でした。「心に太陽を、唇には歌を」などの詩や、スエズ運河完成までの苦心談など、義務教育が尋常小学校高等科までだった当時、理想的な少年を育て上げる啓蒙的な教養文庫だったのです。しかし、昭和7年に満州(中国)で始まった事変から続く、富国強兵政策を推進した軍国主義独裁政権が、いわゆる「大東亜戦争・第二次世界大戦」に臨んで、少国民を、皇国大日本帝国の将来を担うにふさわしい少年少女の呼称、として用いるように変えてしまったのです。つまり文部省が、尋常小学校を国民学校と改めて、さらに学校への通達で、少国民を、聖戦を遂行するために、皇国に身を尽くす国民として相応しい錬成を施した少年少女の呼称にすり変えてしまったのです。極端に言えば、少年少女のすべてを、兵士に育て上げようということです。
昭和7年(1932)生まれの僕は、まさにその少国民として、徹底的に錬成された世代の一人です。当時は、少国民と呼ばれることに、誇りさえ感じていたのです。東京の下町に生まれ、ガキと呼ばれて、貧しいながらも、伸び伸びと遊び、学んでいた子供が、ボーっとしているうちに、時の権力によって、少国民という名の少年兵士に育てられた世代の一人だったのです。
昭和20年(1945)年の3月10日には、米軍巨大爆撃機B29の無差別焦土爆撃で焼け出され、さらに4・13、5・25と、立て続けに爆撃に追い回されて焼け跡に佇んだあげく、6月にはなお懲りずに、旧制中学一年生で、もはや目標としていた海軍兵学校の募集は行われないと言われて、人員補充のために入試を早めた陸軍幼年学校受験申し込書を携えて、市ヶ谷の、あの三島由紀夫が割腹自殺した陸軍省の門を、自ら号令をかけ、歩調を取って通過したのです。
「兄ちゃん、今、入隊すれば卒業でいきなり幹部候補だよ」と街頭で誘われて、離陸だけ即席で教えられて特攻隊志願に組み込まれた14歳だった兄貴も、その少国民のはしりです。幸い、(などと当時呟いたらとんでもない目に遭ったでしょうが)、偶々飛ぶ飛行機が無くて、終戦を迎えたので無事帰還しましたが
そして、この8月です。はたして、オリンピックまであと一年!と煽られて、ボーっとして、お笑いタレントと一緒に、グルメだの、サプリメント、化粧法などばかりのテレビを見ているうちに、金正恩が、本土まで届かないミサイルを開発しているから大丈夫だ、などと呟くトランプ大統領のアメリカでなく、その同盟国日本の沖縄その他の基地や都市に向けて、空いっぱいに、撃墜不能の短距離弾導弾を飛ばしてきたり、強固な同盟で結ばれるアメリカの要請に応えて、ホルムズ海峡にまでお手伝いに行った自衛隊が、初の戦死者を出したり、などというということには絶対にならない、という保証があり得るのでしょうか。
あの戦争で、奇しくも生き延びた少国民の一人として、叫びます。令和を、災害と戦乱の破滅の元号にしてはならないと。

戦争は、知らず知らずに、ある日突然あなたに襲いかかって来るものです。ボーっとしてるんじゃないよっ!


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