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論語 №78 [心の小径]

二四八 君食を賜(たま)えば、必ず席を正して先ずこれを嘗(な)む。君腥(せい)を賜わえば、必ず熟してこれを薦(すす)む。君生を賜えば、必ずこれを畜(やしな)う。君に侍食(じしょく)するに 君祭れば先ず飯(はん)す。疾(や)むとき君これを視(み)れば、東首(とうしゅ)して朝服(ちょうふく)を加え紳(しん)を引く。君命じて召せば、駕(が)を待たずして行く。

                法学者  穂積重遠

 君がお料理をくださると、必ず席を正しくしてさっそくちょうだいする。君が生肉をくださると、必ず育てまず祖先の霊に供える。君が生きた動物をくださると、必ずそれを飼っておく。君のご相伴をするとき、君が食前の祭をされる間に、先ずお毒味をする。病気のとき君が見舞に来られると、東枕にねて君が南面なさるようにし、礼服を寝具の上にかけ、束帯をその上に引く。家に在るとき君のお召があると、馬車の用意ができるのを待たずに出かける。

 「紳」は官服の大帯で、わが国ならば束帯というところだ。「紳士」という言葉はこれからきている。

二五〇 朋友死して帰する所無ければ、のたまわく、われにおいて殯(ひん)せんと。朋友の饋(おくりもの)は、車馬と雉も、祭肉にあらざれば拝せず。

 「殯」は「かりもがり」入棺してまだ本葬をしない間をいう。天子は七カ月、諸侯は五カ月、大夫は三カ月、士は二カ月、という古礼になっている。そして中国では今でもそうのようだが、放都外で死んだ者の遺骸は、「かりもがり」しておいて便宜の時、祖先の墓地へ帰葬するのが、古来の慣行であった。

 友人が死んでこの土地に遺骸を引取るべき親類のない場合には、わしの所で「かりもがり」を引受けよう、と申し出た。朋友から贈物があった時には、友達の間柄のことだから、車馬のような高価な贈物でも、祭の供物の肉の場合の外は、拝礼をしない。

 出獄人保護事業で有名だった放原胤昭翁は、元は相当の幕臣で、印旛沼のほとりに広い墓地をもっているが、その墓地には同家一族以外の者の墓が五十何基かある。それは世話になった人々のうち死んでも引取り手のない者及び前科者なるが故に故郷では遺骨をも容れられぬ者を葬った墓である。中には先生の墓地に葬ってくれ、と遺言して死んだ者もあるという。実際そこまでの親切はなかなかできないことだ。

二五一 寝(い)ぬるに尸(しかばね)せず、居(お)るに容(かたちずく)らず。斉衰者(しさいしゃ)を見れば、狎(な)れたりと雖も必ず変ず。冕者(べんしゃ)と、(こしゃ)とを観れば、褻(な)れたりと雖も必ず貌(かたち)を以てす。凶服者(きょうふくしゃ)にはこれに式(しょく)す。負販者(ふはんしゃ)にも式す。盛饌(せいせん)あれば必ず色を変じて作(た)つ。迅雷(じんらい)風烈(ふうれつ)には必ず変ず。

 「版」は戸籍者。民政の根本たる大事の書類故、それをかついで行くのは役所の下役小使でも、戸籍そのものに対して敬意を表されたのである。

 ねるときには、死骸を投げ出したようなねぞうのわるいかっこうをしない。起きているときには強いて容態ぶらない。喪服をきた人を見ると、親密な間柄でも顔色を変ずる。衣冠をつけた人やまた盲人を見ると、別懇の間柄でも形を改める。車に乗って通るとき、喪服の人にあうと、車の前の横木に手をかけてあたまを下げた。戸籍簿の運搬者にも礼をした。りっぱなご馳走が出ると、これはこれはと驚いた顔つきをし、立って主人の厚意を感謝した。急に雷鳴がしたり烈風が起ると、天変地異に恐催する意味で、いつも顔色を変えて立ち上がった。
                                        
「いぬるにしかばねせず」は、若人たち相当耳がいたかろう。斉衰者、冕者、瞽舎については、前にも同様の記事がある。
 雷鳴や暴風を恐怖するのではない天変地異をばかにせず、天の渓谷ととって畏(かしこ)み慎むのでであって、『礼記』(玉藻篇)にも「もし疾風迅雷甚雨あれば、すなわち必ず変ず。夜と雖も必ず興(た)ち、衣服冠して坐す。」とある。ともかく本章の末句は有名だ。『十八史略』に左の記事がある。「車騎将軍蕫承(とうしょう)、密詔を受くと称し、劉備とともに曹操を誅せんとす、曹操一日従容(しょうよう)として備に謂っていわく、今天下の英雄は、ただ死者と操のみと。備まさに食す。匕チョ(ひちょ)を失す。雷震に値(あ)って詭(いつわ)っていわく、聖人いう、迅雷疾風には必ず変ずと・まことに以(ゆえ)あり。」

『新訳論語』 岩波文庫

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