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日めくり汀女俳句 №38 [ことだま五七五]

四月十八ひ~四月十九日

         俳句  中村汀女・文  中村一枝

四月十八日
花吹雪通れ通れと声揃(そろ)へ
              『都鳥』 花吹雪=春
 知り合いのワンちゃんがお産した。一匹生まれたところで陣痛が止まってお医者へかけ込んだ。残り四匹の内一匹しか助からなかったそうだ。
 私もダックスフントのお産を一度手がけた。夜中何度も起きて見に行った。その度に黒い瞳(ひとみ)が暗闇(やみ)の中で光った。朝寝坊して慌てて犬の所に行くと五匹のぬれ羽色の小犬、胎盤もきれいに始末され、血の跡一滴もない。ゆったりと小犬に乳を含ませている母犬の満足気な表情には母となった歓びがあふれていた。自然の摂理、感動した。

四月十九日
溝に落ちて泣いて帰る子豆の花
         「汀女初期作品」 豆の花=春
 子供の時の愛読書の中に徳富蘆花の「みみずのたわこと」がある。小学四年の女の子がどうしてあんなに好きだったのか、自然への回帰を説く作者の温かい人柄が伝わったのだろうか。私は自分で「うなぎのたわ言」という小説を書いて父に見せた。父は幼い頃母親から豆花の「思い出の記」を繰り返し読んで貰ったそうだ。
 明治の人間にとって、豆花は当時のベストセラー作家、小説「不如帰(ほととぎす)」が兄蘇峰の「国民新聞」にのるや、悲しい運命の夫婦愛が天下の読者の紅涙をしぼったと言われる。

四月二十日
わが胸をよぎり音せし落花かな
              『春雪』 落花=春
 蘆花は明治四十年熊本水俣から東京北多摩郡千歳村粕谷に籍を移した。今、京王線芦花公園と言われる場所である。
 蘆花は少しずつ兄蘇峰との生き方の違いを感じ始める。明治四十三年大逆事件が起こり、幸徳秋水以下二十四人に死刑判決が下った。蘆花は、天皇へ命乞いの上奏文を朝日新聞の池辺三山に送ったが、その日、刑が執行されたことを聞いて、
「おおい、もう殺しちまったよ。みんな死んだよ」と泣いた。蘆花の書斎は幸徳の名をとって秋水書院と名づけられた。


『日めくり汀女俳句』 邑書林

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