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浜田山通信 №246 [雑木林の四季]

「千万人といえどもわれ往かん」

            ジャーナリスト  野村須美

 1993年以来の冷夏だそうで、近くのスーパーに買い物に出かけるにも上着をひっかけなければならない。おかげもあるのかどうか知らないが、参議院選挙はどこでやっているのか、演説会も選挙カーも回ってこない。
 私のマンションのすぐ前に小さな公園があり、そこには東京選挙区の立候補者14人のポスターが張り出されている。この辺りの大地主安藤要蔵さんが亡くなった時、一部相続税を物納したもので、要蔵さんの要をとって「かなめ公園」と名付けられた。通りの東側はマンション、西側は地主の当主の屋敷があるので人通りは少ない。選挙公報がきたのは11日だったかで、それまではこの掲示板で立候補者を知っただけだ。選挙公報には20人の顔写真と公約、あいさつなどが書かれており、このうち6人はポスターも貼らなかったわけだ。私は自民党と共産党の候補者は何回か当選しているので名前は知っているが、そのほかは初顔である。へえーと思ったのは無所属野末陳平87歳。広報には、よれよれの字で(失礼)いきなり「千万人といえどもわれ往かん(孟子)」とあり、「元税金党代表として参議院議員24年の実績と経験を生かし、再び国会活動がしたくて立候補しました。いまの政治は見るに堪えない。政治家は劣化し。官僚たちは怠慢で無責任、怒りでいっぱいです」と書かれている。おおまだ生きていたかというのが最初の感想。私より三つ下だが、私など陳平がどんな活動をしたのか、どれほど有名だったか何一つ憶えていない。そこで昔出た朝日新聞社編現代人物事典('77年刊)を見る。小中陽太郎が執筆しているが、小中陽太郎のことだって、ベ平連の運動にかかわった人たち以外ほとんど忘れ去ったのではないか。
 皆忘れられていく。それでいいのだ。野末陳平が、よれよれの字で「千万人といえどもわれ往かん」と号令をかけるだけで年寄りはいい気分になる。もう向う側へ行ってしまった鶴見俊輔や堀田善衛、小田実らが皆堂々としていた。当時、ベ平連の使い走りをしていた吉岡忍さんは、いまやペンクラブの会長である。あの頃ペンクラブは何かあると新聞記者を集めて声明を発表したり、世界的に影響力を持っていた。いまはたして何人の作家やエッセイストたちが、アベやトランプに抗議の声をあげているか。
 あの時代を思い出させてくれただけでも、野末陳平さんの「千万人といえども、われ往かん」は、私の胸にズシンときた。
 それにしても選挙はどこへ行ったのだろう。新聞は豆知識のような埋め草記事を載せるだけでTVは何一つ放送しない。NHKだけが注目選挙区をとりあげ、その中で皮肉なことに「NHKから国民を守る党」が「NHKをぶっ壊す!」と叫んでいる。NHKのニュースは、安倍さんを支持するようにしているのは、公然の秘密。世の中には、なかなかの知恵者がいるものだ。いろんな立候補者がいるのはおもしろい。

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