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梟翁夜話 №43 [雑木林の四季]

「アナログの音や懐かし(中)」

                     翻訳家  島村泰治

さて、長じて学生時代、音楽の時間に大盤の78回転で月光などを聴くようになって、ようやく針音の因果に目覚めはしたが、鬱陶しいとは思いながらそれ以上は望むべくもなかった。78回転時代は所詮「楽譜の音声化」が限界で、音の質感を論じるフェイズでは到底なかった。カルーソやエルマンの伝説的名演も、78回転では所詮実感できはしなかったのだ。

〇LPの登場
LPの到来で音楽鑑賞の様相が一変する。ビニール盤で磨耗が激減、ダイア針の登場で78回転時代の「針音」がほぼ消えた。第九が大盤LP1枚に載った便利が音楽鑑賞の環境をがらりと変えた。再生機器も格段に進歩、聴く耳にとっては申し分のない、究極とすら思われた環境がついに実現した、と思われたのである。

当時、留学先のアメリカでは、LPがモノラルからステレオへの過渡期にあり、なけなしの金を払って集めたLPは3分の2がモノラルだった。伝説的なトスカニーニのベートーヴェン・アルバムやカザルスのチェロ組曲などを当時仕込み、聴き込んだもので、人工ダイヤモンドのせいかどれも78回転まがいの針音が彫り込まれていた。

〇ドルビー
オープンリールやカセットへの傾倒は帰朝以来のことだ。音質もさることながら、エアチェックという格好な趣味に凝り、針音逃れのLP離れが始まったのだ。赤井を揃えコンポを組み上げてNHK-FMから好みのものを拾い出して音楽ライブラリーを造る。TDKのカセットテープ何10本かで30本収納ケース1個プレゼントという企画に乗って、数十個のコレクションを作り上げた。

自前の音楽ライブラリーを組み上げる魅力でテープに走ったものの、楽音再生の見地からテープのヒス音がLPの針音より勝るか否かは、じつは疑わしい。ドルビープロロジックなどでヒス対策を施して楽音は生きたかといえば、これも疑わしい。ドルビーで塗(まぶ)した音には隔靴掻痒感があった。弦の高音域でそれが著しく、切れ味はほぼ失われた。初おろしのLPに本物のダイア針を静かに落として引き出す音は、明らかにこれを上回り、四重奏のヘソの部分では歴然とLPに軍配が上がる。

〇CDデジタル
仮にわがLPたちがいまだ磨耗少なく、静電気等の処理に万全を期す余裕があったなら、お蔵入りさせるまでもなかった。どれもあまりに粗雑に聴き過ぎ、維持管理が不行き届きだったことから、上のような比較には値しなかった。簡便さと例のライブラリー趣味に堕してテープに依存していた。

そこに登場したのがCDという再生媒体だ。学生たちと議論をしたことがある。雑音皆無の魅力は圧倒的で、最早テープは聴けなくなるとの予言に反発、ゼロイチのデジタル音など聴けるものかと突っ張ったのだったが、それならと聴かされたモーツアルトのピアノにおやと思ったのである。毛ほどもない雑音、打鍵の軋みの臨場感、確かに「別世界」がそこにあった。

思えば、CDをピアノで聴かせたのが敵の作戦で、雑音皆無の魅力を確かに感じたのだ。さほど広くない周波数帯域広域ではゼロイチの違和感がほぼないことを実体験した、いやさせられたのである。静謐な音環境と使い勝手の良さに惹かれて、日常の音楽鑑賞はついCDに手が伸び、やがて滔々と押し寄せるCDの波に呑み込まれる。そして、開館休業、LPたちは物置の奥深く積み込まれた。

話は冒頭に戻る。

(次号に続く…)


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