So-net無料ブログ作成

論語 №76 [心の小径]

二四三 食は精(しろ)きを厭わず、膾(なます)は細さを厭わず。食の饐(い)してアイ(「食」プラス「曷」)せる、魚の餒(たい)して肉の敗れたるを食わず。色悪しきは食わず。臭悪しきは食わず。シン(「食」プラス「壬」)を失いたるは食わず。時ならざるは食わず。割正しけらば食わず。その醤(しょう)を得ざれば食わず。肉多しと雖も毒食気に勝たしめず。ただ酒は量(はかり)なし、乱に及ばず。沽酒(こしゅ)市脯(しほ)は食わず。薑(はじかみ)を撤せずして食う。多く食わず。公(こう)に祭れば肉を宿せず。祭肉(さいにく)は三日を出(いだ)さず。三日を出ずればこれを食わず。食うに語らず、寝(い)ぬるに言わず。疎食菜羮(そしさいこう)瓜と錐も祭る。必ず斉如たり。

                     法学者  穂積重遠

 これは孔子様の食生活である。今時こんなことは言っていられないが、孔子様のキチョウメンな性質があらわれている。文字の講釈もいろいろあり、また異説もあるが、前者は略し後者は二三を後にしるそう。「言」は自ら言う。「語」は人の言に答える。

 飯は精白な方がよいとはされるが、ぜひそうなくてはならぬというのではない。さしみは細切りの方がよいとはされるが、ぜひそうなくてはならぬというのではない。
 飯のすえて味の変ったもの、また魚のただれたもの、獣肉の腐ったものはたペない。煮過ぎた色の悪いものはたべない。においの悪いものはたべない。煮過ぎたものや生煮えのものなど、料理の適度を失ったものはたべない。行儀よく切ったものでなければたべない。魚や肉は、何にはカラシ醤油、何にはショウガ醤油、何にはワサビ醤油というようなそれぞれ合い物のかけ汁がなければたべない。副食の肉料理がたくさんあっても、主食なる飯の食欲を圧倒するほどはたべない。ただ酒は、どのくらいという分量はきめないが、酔って取り乱すほどは飲まない。町で売る酒や市場で買った乾肉はたペない。料理のツマについているショウガは、毒消しになるから、下げさせずにたべる。大食しない。殿様のお祭のおてつだいをした時ちょうだいして帰る供物の生肉は、宵越しをさせずに家人にいただかせる。また家の祭の供物の肉は、三日たたぬうちに処分し、三日を過ぎたらたべない。食事中絶対に談話せぬというのではないが、食物をたべかけているとき人から話しかけられるとも返事せず、また寝床にはいってから人に話しかけない。玄米飯や野菜汁や瓜のようなものでも、まず一箸を膳の向いに供えて、天地と祖先と生産者とに謝意を表する。それも形式的のおまじないでなく、まごころこめて供養するのである。

 「厭わず」をただ「厭わず」ではあたりまえのこと故、「厭わずとは、これを以て善しと為すを言う。必ずかくの如きを欲するの謂にあらず。」という古証に従った。「時ならざるに」には三説がある。第一説は「食時にあらざるを謂(い)う」とする。すなわち間食をしないというのだ。第二説は「五穀成らず、果実末だ熟せざるの類なり」とする。すなわち未熟のものをたべぬというのだ。第三説は「生ずることその時にあらざるを謂う」とする。すなわちいわゆる「はしり」というような初物などを賞翫(しょうかん)せぬというのだ。第三説によった。前にも「酒の因(みだれ)を為さず」(二二〇)とあって、講師様はお酒は相当お好きだったらしい。一高名物の「デ力ンショ節」に「論語孟子も読んでは見たが、酒を飲むなと書いてない」というのがあるが、しかし酔っぱらってストームをしろ、とも書いてないようだ。
 町で売る酒や乾肉(ほしにく)を買わないというのは、昔は衣服飲食は必ず家庭でととのえたもので『礼記』に「衣服飲食は市に粥(ひさ)がず。」とあるような次第だからだが、今日そういうわけにはいかない。しかし露店・屋台店などの酒や肉は用心した万がよさそうだ。メチールか猫か知れたものでないから。「多く食わず」を、ショウガをたくさんたべない、と上に続けてよむ説もあるが、大食のいましめとする方がおもしろい。一箸のお初穂を膳の向いに供えるのは、わが国でもしたことだ。水戸義公(ぎこう)の「農人形」などはこの本文から出ているのかも知れない。

二四四 席正しからざれば坐せず。

 座席の敷物がまがったりしているとすわらない。キチンとなおしてすわる。


『新訳論語』 講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。