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日めくり汀女俳句 №36 [ことだま五七五]

四月十二日~四月十四日

         俳句  中村汀女・文  中村一枝

四月十二日
行春(ゆくはる)や 波止場草なる 黄たんばぼ
     『汀女句集』 行春=春 蒲公英=春
 子供の時、新しい教科書を貰うのは嬉しかった。とりわけ国語は貰った日に最後迄読ん
でしまった。私のように活字には恵まれている家の子供でもそうだったのだから、一般に
本が手に入りにくい家の本好きの子にはなお更の事だったに違いない。
 今でいえば軍国主義一色に彩られている教科書で国側からすれば愛国心の強い克己心に
富む子を育てたかったのだろう。弟橘按が身を投げ海神を沈めたり、山中鹿之助が、我に七難八苦を与え給えと祈ったり、那須与一が扇の的を射ると敵味方喝采したり、英雄澤にはロマンがあった。

四月十三日
雲浮び 何か明るし 春の風邪
            『汀女句集』 春風邪=暮
 春の天気の変わり易さ。昨日は半袖、今日は衿(えり)巻きということもしばしば。寒暖の差の激しい時はよく風邪をひく。
 私は子供の頃、小児喘息の常習者で、今時分はほとんど寝ていた。春めいた空気が家の内にもざわざわ入り込んでいる中、寝床の中から、庭の変化や、外で遊ぶ子供のにぎやかな声を聞いているのはやるせなかった。咳にきくからと、蟻蛤(とんぼ)の乾燥したのをごそっと持ってきてくれた人がいた。
 廊下につり下がったひからびた晴蛤の目玉が、いつもじっとこっちを見ていた。

四月十四日
今別れ 来(きた)りしばかり 春灯(はるともし)
               『花影』 春灯=春
 結婚して十年間、汀女は句作をやめた。大正十三年に長女涛美子、十五年に長男、昭和四年には次男と子供が生まれた。当時の事とてお手伝いはいただろうが、手のかかるいた
ずら盛りの男の子たちには手を焼いた。十三年には、東京から仙台へ、十四年には名古屋、同じ年に大阪、昭和五年には横浜と、目まぐるしい転任の年月でもあった。働き盛りの夫も、多分妻が悠々閑と俳句を作る事は好まなかったのではないか。
 その間、暇があると、鏡花と探偵小説を読んでいた。充電期間でもあった。

『日めくり汀女俳句』 邑書林

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