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浜田山通信 №244 [雑木林の四季]

高田博厚の遺作、中野重治胸像

             ジャーナリスト  野村須美

 5月27日、東武東上線の高坂駅に高田博厚彫刻プロムナードを見に行った。案内に来られたのは、今年の3月まで地元の白山中の校長を勤めておられ、現在は東松山市教委勤務の比島順氏である。この人が驚いたことに福井県出身で、母方の親戚に中野重治さんがいるという。東松山でかっての福井文人会の先輩たちにめぐりあったとは。帰宅すると博厚さんの「分水嶺」が書棚から出てきた。昔少しは読んだはずだが、何一つ憶えていない。しかしこれは何としても読まねばならない。なにしろ30年に及ぶヨーロッパ滞在である。暗い谷間の時代、レジスタンスや解放の波瀾の現代史、ロマン・ロランやアラン、ガンジーらとの交流などすさまじいものだ。この時代は日本がドイツと同盟を結んでいたり、フランスのビシー政権がいち早くナチスに屈服したりして、どちらがどうなのかよくわからない。その中で博厚さんは日本人会長として大活躍をする。この「分水嶺」は日本人が20世紀ヨーロッパに築き上げた最高の文学でもある。
 比島さんは福井県松岡町の生まれ。昨年の秋、もう最後になるだろうと85歳の母親と松岡町に出かけた。終戦後も織物業が盛んで、いまも鋸屋根の工場が残っていたという。もっとも取り壊す費用がかかるのでそのままになっている。わびしいけれど致し方ない。
 松岡町から九頭竜川を渡って北へ行くと丸岡町につく。町村合併で昔の町村名は消えてなくなり丸岡は坂井市となった。それでも丸岡城は昔のまま残り、城のふもとに中野重治文学記念坂井市立丸岡図書館がある。中野は1979年8月24日死去。77歳だった。57年に蔵書が丸岡町に寄贈され、翌年中野重治文庫記念丸岡町民図書館が落成した。
 私はこの図書館と生家跡を一度見に行ったことがある。屋敷のすぐそばを丸岡線が走っていた廃線跡を見たり、サンマイ谷まで田ん圃の中を歩いたりした。もうほとんど記憶に残っていないのだが、図書館の入口付近に内田莉莎子さんへの手紙を銅板にしたものがおかれていたように思う。莉莎子さんは魯庵の息の内田巌画伯のお嬢さんで、私の早大露文科の二年先輩だった。内田家は経堂あたりの梁山泊のようなもので、同級だった吉上昭三(ポーランド文学)さんと結婚した。2人の結婚のお祝いの手紙だったように思うが定かではない。
 この中野重治文庫は寄贈された書棚、書斎だけだったが、いまは市立図書館も新築されて見学者が絶えない。そして書庫の中心に立っている中野重治の胸像は、高田博厚さんの遺作になった。博厚さんは中野さんより2年先輩で、亡くなるのも中野さんの方が早かった。先輩はヨーロッパ中をかけめぐり、中野さんは心の中で福井という日本のド田舎を生き抜いた。遺作になった中野重治像は、メガネもかけておらず、いかにも病気と闘っているような風情だが、文庫の書棚の前におかれると、私のような終戦直後からの中野重治ファンにとってはたまらないものがある。東松山市は比島順さんという最高の生涯学習指導員を得て何よりでした。ことしは11月2~4日には日本最大のウオーキングイベント第42回が行われる。成功を祈ります。

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