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梟翁夜話(きょうおうやわ) №41 [雑木林の四季]

あぐら

                翻訳家  島村泰治

髭剃りと並ぶ男冥利にあぐらがある。起きがけの髭の剃り味は、鏡に向かい百面相を尽くして果たす女の化粧の悦楽とさてどちらかというほどのものだ。それを一段としのぐ快感があるとすれば、畳の上でどっかと構える大あぐらだろう。

さて、もってのほかとそのあぐらを禁じられたら、男たるもの立つ瀬がないではないか。その立つ瀬がなくなる羽目になるやも知れぬ事態が出来(しゅったい)、それも嬉々として入れ替えたばかりの人工膝のせいだから茫然自失、言葉もない。せいだと云えば膝が悪いとも聞こえようが、そうとも云えないのだから話が錯綜する。

膝の痛みに堪えかねて人工膝に入れ替え、手術を済ませ退院して数日になる。膝を入れ替えよとは天の声、膝回りの苦痛が嘘のように消えて、将に近年にない快挙と大いに満ち足りているのだが・・・。好事魔多しとやら、良きことの裏に不都合あり、と。骨と骨が摺り合う拷問から解き放されたあとに男冥利が失せなんとしているのだ。そう、あぐらはご法度だという。

人工膝だから、膝を折った上に体重をぎゅっと乗せるなどは論外だ。つまり、正座は厳禁だろう。だが、ゆったりと構える畳の上の大あぐらもならぬとなれば、これは切ない。膝の拷問を逃れたのは限りなく嬉しいが、その代価にあぐらの和みを失うとは情けない。ああならだめでもこうならよかろうと、いまリハビリの専門員にあぐら談判をしている最中なのだが、話が一向に捗(はか)が行かない。リハビリの成果次第であぐらの角度に個人差が出るとのご宣託、冥利と云えるほどのあぐらを認めてもらえるやらどうやら、甚だ心もとないのである。

入れ替えた人工膝はチタンだという。眼鏡フレームなどに使われる軽量金属だ。両膝同時に内側だけの部分にこれが入っている。骨に馴染むのに数ヶ月掛かるという。半年も経てば様子がはっきりしよう。

部分膝とはいえ84歳にして両膝を入れ替えるのは稀有とのことだ。幸い術後の経過はごく順調で、膝回りの鬱陶しさが霧消したのだからよしとすべきだ、あぐらは諦めよと周囲は軽口を叩く。そうかも知れぬ。あの骨が摺り合う悪寒はもう沢山だ。あれが消えただけでも生き甲斐が蘇生した。其れで手を打つのが筋か・・・。

思えば、人間我が儘である。あぐらが無いもの強請(ねだ)りなら、潔く諦めようか。それでも、あぐらの真似事だけでもしたいものだと課せられたリハビリに精を出している。人事を尽くして云々の心境である。


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