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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №5 [文芸美術の森]

第二章 画家との出会いと交流 3

       早稲田大学名誉教授  川崎 浹

遁世という過激な行為

 私は本来、画家その人より描かれた作品のほうに重きをおいてきた。いわば自分なりのテキスト主義である。作品は画家の学歴や肩書きに関係なく自立している。高島野十郎自身よりかれが描いた絵のほうに以前からつよい関心をいだいてきた。野十郎自身に関心があるとすれば、かれが描いた絵との関係においてであり、かれについての関心は二次的なものである。いわんや野十郎の出自とか地位とかは絵には関係ない。そう考えて私は高島さんにかれの生い立ちや学生時代のこととか、絵を描くにいたる動機とかを聞いたことがない。かれ自身も話そうとしなかった。
 私は画家が絵にこめた寓意やシンボルについてときおり明かしてくれるときでさえ本気では聞いていなかった。創作者がどんなに思い入れをこめても作品にメッセージが顕れなければ意味がない。鑑賞者が作品から衝撃をうけ、あるいはじっと見入るうちに何か心に染みるものを感じて、それは何に由来しているのだろうと、逆にそこから作品というテキストの中に入ってゆく。そのとき仮に創作者がこの「雨」にはこう意味をこめたのだと言ってくれれば、なるほどそうなのかと興あることに思われ、理解も深まることはあろう。
 しかし、それほど「テキスト主義者」の私が高島さんと二十一年もの交流をもつようになったのは、高島さんの絵に惹かれたうえに、ひとつには自由な環境という点で画家と共通していたからだろう。画家は「すまじきものは宮仕え」の束縛から放たれた遁世の生活を送り、私も大学院生や非常勤講師として暮らし、半自由人の時間的なゆとりがあった。
 最初のうちは同県人という心やすさもあったかもしれない。
 「過激」という言葉をとりだせば、こうも言えた。現代では遁世そのものが一種の過激な行為であり、後述するように実際高島さんはたびたび過激な発言をなし、人にはまねのできない行動にうってでた。私も当時は自称アナキストで、高島さんとの交流十三年目にロシア帝政末期のテロリストの回想記やテロが舞台の小説『蒼ざめた馬』を翻訳し、高島さんに送った。画家はいわゆる「左翼」とは立場が反対のはずなのに嫌な顔をするどころ
か、おもしろいとさえ言った。
 その後まもなくこんどは自著『チェーホフ』うを出したとき、手前味噌になるが、高島さんは「感動した」と読後感をのべた。本が出たのはちょうど画家が不動産企業の郊外進出と闘っているさなかだった。いま読みかえして私はこんな箇所に画家が同感したのかなと思う。「研究者はチェーホフのサハリン島行きを(精力の乱費)ときめつけるが、利害を無視し、自己の生のバランスをつき崩してまで進む人間の行為は、日常的な有効性の尺度だけでは測りきれるものではない」。
 また画家はチェーホフが遺した幻の戯曲の断片を紹介した箇所を読みながら「心うたれた」と言った。それはたしか主人公が船上から、重荷を運ぶ受刑者を見て、「お前の人生はこれからも暗いのだろう」と共感する箇所ではなかったろうか。画家は高齢になっても文学的な感受性を失わない人だった。
 またよく「求道」という中国の哲学者荘子ふうの一語で気楽に片づけられるが、無常観や厭世観におそわれ、人生の意味を深めることへの接近において、高島さんは宗教にかなり近い所にいた。私も私なりにさまざまに考えあぐね、哲学的な思索を追い禅寺にかよっていたので、高島さんは私に若い頃の自分を重ねて見ていたのだろうか。
 四十歳も年齢がちがうのにどうして付き合えたのかふしぎに思う人もいるが、高島さんは私に年齢の差を感じさせなかった。基本的にあくまで対等で、手記でこそ私を「川崎君」と書いているが、正面きって姓を呼びかけることはまれとはいえ、日常では「川崎さん」で、ふつうには親しく「あんた」と呼んでいた。それでもやはり高島さんには、文字どおり私より「先に生まれた人」の経験と叡智にふさわしい気韻が感じられたので、私は「先生」と呼んだ。顔ぜんたい、とくに眉から額にかけ、頬のあたりにも俗の世界を一歩超えた、無関心というと語弊があるが、なにかそうした表情があった。
 実際ときおり、目の前にいる相手を見ながら、私はこの人がもし特待生の人生コースを選んでいれば、教授として水圏生物科学会(農学生命科学研究学)の会長をつとめ、勲章を授けられ、いまだ国家の枢要な地位にあり、私など相手にする暇はなかっただろうにと思うことがあった。それでも高島さんは紳士、農民、貴族、武士とさまざまな姿に結びついたが、ふしぎなことに「東京帝国大学」というイメージとはどうしても重ならなかった。
 遁世者の高島さんには、自分の絵を理解してくれたうえで、どこか相通じる青年の若さも、老いて生きる力や方位のバランスをとるうえで邪魔にはならなかったのだろう。いわば野十郎という成層圏の私は一小惑星の役割を果たしていたことになる。


『過激な隠遁』 求優堂

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