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浜田山通信 №243 [雑木林の四季]

ハガチー事件を知っていますか

             ジャーナリスト  野村須美

 「令和(これがなかなか思い出せないし、書けない。いまも新聞を見て再確認した)初の国賓が四日間の日程を無事終え、お帰りになった。お招きしたのはアベさんなのか天皇なのか知らないけれど、最終日には天皇皇后が国賓宿泊のホテルへ出向き別れの挨拶をしたそうだ。いたれりつくせりの「おもてなし」だった。私はこの国賓騒ぎがバカバカしくてテレビも一切見なかったし、一日は前に書いた東松山市の「高田博厚彫刻プロムナード」を見に行った。東武東上線の高坂駅前の大通りを西に向かって1キロ、両側に32体の作品が並んでいる。高村光太郎、タゴール、棟方志功、新渡戸稲造、宮沢賢治などの人物像に感心した。東松山のことはまた書くとして、国賓さまのおもてなしに関連して思い出すのは、もう59年も前のことになるが、1960年のハガチー事件のことだった。
 いいかげんなものでハガチー事件がいつだったのか、吉田内閣ぶっ倒せとデモばかりやっていたころのことか、安保闘争の前だったか後だったかさえはっきり憶えておらず、ただ羽田空港を出たところでハガチーの乗っていた車がデモ隊に囲まれあわやとなるところをかけつけた機動隊に救い出され、ヘリコプターで脱出した場面ははっきり記憶に残っている。もちろん私はデモ隊ではなく取材の一社会部記者として現場にいあわせただけだったが、すごいことになったと思った。雑観記事は先輩記者が書いたはずで、私は単なる一目撃者にすぎなかった。
 ハガチーとは当時のアイゼンハワー米大統領の新聞係秘書。いまあらためて年表をみると、前年から新安保改定をめぐって反対運動が盛り上がり、連日集会デモが続いた。1月には岸首相(安倍首相の祖父)とアイクの間で新条約の調印、大統領の訪日も決まった。ハガチーの来日は情勢の調査のためだったが、一日いただけで帰国した。このあと6月15日にが東大生樺美智子さんが学生の国会突入で死亡、16日にはさすがの岸信介総理もマニラに滞在していたアイク大統領に訪日延期を要請せざるをえなかった。新安保は19日午前零時自然成立した。まもなく岸内閣は退陣し、高度成長の池田内閣になる。
 アベさんは祖父の恨みを60年かけて晴らし、強固な日米同盟どころかいまや属国化への道をまっしぐらだ。岩手県沖で事故を起こしたばかりのステルス戦闘機F35機147機、追加分だけで1兆2千憶円。オスプレイヘリコプターも17機、1700憶円。地上配備型迎撃ミサイルイージス・アショア2基、4400憶円。これだけつくしても参院選挙が終わると対中国のような貿易戦争を日本も仕掛けられ、日本の農業や自動車もひどいめに会う。「メイク アメリカ グレート アゲイン」から「アメリカ ファースト」で世界の嫌われ者トランプにどこまでもついていくのが日本国の生きる道である。

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