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コーセーだから №51 [雑木林の四季]

コーセー創業者・小林孝三郎の「50歳 創業の哲学」12

               (株)コーセーOB    北原 保


事業への執念に変わる/子供時代は〝鳥きちがい

親ゆずりの凝り性

 小林孝三郎社長の凝り性は社内でも有名である。60歳でゴルフをはじめて10年目にグランドシニア選手権に優勝、並いる社員をアッといわせたり、日本の地理の知識は高校の教師なみ、と社長秘書をあわてさせたのも、もとをただせば、父親伊三郎ゆずりの凝り性のせいである。
 「いや、社長の凝り性というのはいまはじまったことじゃない。こどもの時代にさかのぼる。田舎で〝川きちがい〟とか〝山きちがい〟〝鳥きちがい〟というのがありますけど、兄貴はそれをひととおり卒業していますからね」
 逆にさっぱりした性格の弟、小林聰三専務はそう説明する。なんせ、小学校時代に〝鳥きちがい〟といわれたころ、毎日学校がえりに鳥屋さんに寄って鳥の種類や名前を覚える。アンダルシャン、ミノルカ、レグホンからシャモまで飼っていて、鳥小屋でニワトリと寝起きをともにする。ニワトリがタマゴをかえすと親ドリよりも喜んだというから相当なもの。
 しかし、この凝り性が〝鳥きちがい〟から仕事熱心なセールスマンをつくり、やがて事業への執念を燃えさせるとは、誰も思いもしなかったものだ。
 小林孝三郎社長が業界の社長達とヨーロッパにはじめて旅行したときのことだ。機内の隣の席にすわったアゼリアの島田社長は小林コーセー社長がたえずノートを出してこまごまと書いている姿を見た。はじめのうちは気にしなかったが、ジェット機に乗るとかならず小林社長はノートを出して書く、さすがの百円化粧品の島田社長もおどろきというよりその〝メモきちがい〟的な熱心さに「ハハン、これがコーセーを成功させた秘訣だな」と感心したそうだ。
 この小林孝三郎氏の凝り性は、東洋堂のアイデアルでの、セールスマン時代、化粧品の商品知識では他のメーカーの誰よりも抜群で小売店の親父さんたちにアイデアルの信用を高めた。
 当時、旭電化の石けんのセールスマンだった檪原文雄氏(現いちはら産業社長)は、出張先でよくアイデアルのセールスマンの小林氏といっしょに泊まった仲だ。
 「小林さんという人は、商売熱心で非の打ちどころのないセールスマンでしたよ。こっちは商売はちがいますけど、セールスの仕方をずい分教わりました。たとえばいっしょに同じ店に行くと小林さんは商売してくるのに私はできない。するともう一度2人でその店に行ってこうするんだと教えてくれる。商品知識を店主の立場になって説明する。小売店が倒産すると〝店ヅラのいい店は内容にきをつけなさい〟とかね。ウマがあって、たのしい時代でしたね」
 そのころのセールスマンは、1ヵ月のうち15日から20日間は地方出張ですごす。小林氏と檪原氏は新潟に出張すると太田屋という商人宿を常宿にしていた。宿料は3円。県内を1日セールスしてまわると、
 「帰りはいつも私の方が早いので、夕食を待って隣べや同士でよく酒をのみかわしましたね。酒杯がはずむと小林さんは商売の話に熱が入る。ころあいを見て〝べっぴんさんでもひやかしに行こう〟というと〝よし〟とつき合い、よくいっしょに出かけましたね。だけど小林さんに感心するのは決して12時をすぎて宿に帰るということはなかった。帰ると本社への報告書や計算書をまとめているんです。遊んできても商売は忘れない人でしたよ」
 檪原氏は独身時代の楽しい思い出をふり返りながら、「やっぱり小林さんはどこかちがっていましたな」と語る。その「どこか」というのが少年時代からの〝鳥きちがい〟にはじまる凝り性であった。小林社長は凝り性の話になると「いやいや」とはずかしそうに顔をそむけるのだが……。
                                                      (昭和44年10月21日付)

(注)
●アンダルシャンはスペインのアンダルシア地方が原産だといわれているニワトリの一種。日本では明治時代に大きな卵をたくさん産むとして国内各地に広まった。2009年の飼育数は1万羽と推測されるといわれる。
●ミノルカも地中海のメノルカ(ミノルカ)島原産とされるニワトリの一種で、産卵能力はレグホンと比べるとかなり劣るといわれる。現在の日本でも少数が飼われている。
●レグホンは現在でも代表的な卵用種として飼われているニワトリの一種。白色、褐色、黒色がいるが産卵数の多い白色レグホンが世界各国で多数飼われている。
●シャモは主に闘鶏用、鑑賞用として飼われるニワトリの一種で、食肉用にもなる。江戸時代にタイから輸入され、日本国内で独自に改良されたといわれる。1941年には国の天然記念物にも指定された。オスは非常に闘争心が強いことで知られる。
●アゼリア(化粧品)は、1947年に三菱石油株式会社が化粧品の製造・販売会社として設立したアゼリア薬品工業株式会社のブランド。1955年には社名を東京実業株式会社、1991年には株式会社ちふれ化粧品に改称している。小林孝三郎社長とアゼリアの島田松雄社長が参加した戦後初の化粧品業界関係者による欧米視察旅行は1959年に行われた。この視察旅行がきっかけとなってコーセーはフランスのロレアル社と技術提携を結び、島田社長は欧米の1ドル化粧品に衝撃をうけて1962年に「100円化粧品」の製造販売を開始した。1968年には消費者団体の全国地域婦人団体連絡協議会(地婦連)と提携し、100円化粧品ブランド「ちふれ化粧品」を発売し、現在に至っている。
●旭電化(旭電化工業株式会社)は現在の株式会社ADEKA(アデカ)で、古河グループの化学工業製品、業務用食品などを扱う大手化学品メーカー。


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1920年高橋東洋堂の仲間と
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1959年コーセーがロレアルと提携するきっかけとなった欧米視察旅行
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1959年には化粧品業界有志でアメリカとヨーロッパの視察旅行に出かけた

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