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渾斎随筆 №33 [文芸美術の森]

大同、龍門、天龍山寫眞拓本展覧会

               歌人  会津八一

 山西省の大同と河南省の龍門とは共に数十の石窟に北魏から唐代に至る数千の佛像彫刻があって、今では上代東洋美術の二大宝庫として、遠く世界の隅々まで聞えて居る。なかでも龍門は歴朝の問に屡々帝京となった洛陽からすぐ近いために、自然日本人の耳にも親しまれて居たが、大同については、昔こそ北魏の一首都として魏書、水経注、続高僧傳などにもその美術的造設について歴然たる記事があって、廣く知られても居たが、支那の政治の中心が南移するに及んで少しく僻遠といふ嫌ひがあって、近代では一般人からは忘られて居た。なるほど清初の碩畢朱彜尊の曝書亭集にも「雲崗石佛記」の一文があり、雍正の朔平府志にも可なりな記事があり、ことに又乾隆以後幾度か修理が行はれたことを語る碑文もあり、康煕の勅額も懸けられて居るほどであるけれども、やはり一般には知られて居なかった。ことにその偉大な価値を以ては見られて居なかった。
 それをば早くすでに明治年間に、世界有識者の眼前に改めて曳き出して紹介したのは、何と云っても吾が大學の伊東博士の若き日の功勞の一である。其後内外の優れた単著や鑑賞家の研究は十指にも餘る程で、いづれも華々しく世に出てゐるが、肝心の石佛は、近年地方政権の治下にあって、不心得な土民や商人の手で次第に破壊されひそかに持ち出されて、國外へ賣り渡され、私も現に其の二個を持って居る。しかるに今回の事變では此地域は割合に早く我が軍隊の監視の下に帰して、今では絶封に保管されてゐるのは実に芽出度いことである。
 一方龍門の方は、これも久しい間無理解なる破壊を蒙って居たが、この事變によって、まだ我が軍隊で管理をするといふ所まで河南の戦局が進んで居ない。ところが仄に聞くところでは、事變が始まると間もなく、常時の支那中央政府の手で、だいぶ酷く、むしろ組織的に切り崩されてもはや外國へ賣り飛ばされたのもあり、到底もとの姿では再び見ることは出来ないと云ほれてゐる。
 誠に惜しむべきの極みである。然るにここに山本明君がある。同君は永らく北京に住んで精巧な技術を以て盛大な寫眞場を開業し、暇ある毎に遠く大同や龍門まで出かけて、前後にわたって実に数百種の撮影をせられ、従来の専門学者の研究資料としたものの大部分は実に同君の手に成ったと云つてもいい位である。ことに同君の寫眞にはまだ破壊の手があまり甚だしく加へられて居ない頃のものも多いので、之は實物の損はれ又は失はれた今日としては、最も貴い資料と見なされて居る。そこで今度我が早稲田の學園の中で、一堂のうちに陳列して、ひろく世上の學徒と共に再検討を試みんとするのであるが、これはまことに有益にして又有意義な企てであらう。
 今回はそれ等の寫眞や山本君が實地に作製された見取図のほかに、我が年来堅く秘蔵して居た大同や天龍山の拓本のうちから特に数十幅を選んで同じ席へ出陳することにした。この天龍山といふのは同じ山西省の大原に近い山間の石窟寺で凡そ隋時代の頃と推定される一大石仏群の所在であるが、此處の石窟は最早拓本でも實物に具はるべき貴重な価値を生じて来ることが首肯されるであらう。私はすべて壷の陳列が我が學園内に、今や鬱勃として萌さんとして居る新鮮にして熾烈なる研究的精神の興隆のために良き刺戟とならんことを切に望んで居る。
               『早稲田大学新聞』昭和十五年一月三十一日


『会津八一全集』 中央公論社

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