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じゃがいもころんだⅡ №9 [文芸美術の森]

白バラが咲いた

              エッセイスト  中村一枝

 五月になると、庭のバラが必ず花をつける。白いなんの変哲も無いバラだが、このバラの木は五十年以上家の庭のひと隅にささやかな和みを運んできてくれる。このバラを見ると我が家がバラの最盛期、まさにバラの香りに包まれていた日々があったんだとかすかな思い出が蘇る。
 その頃父のフアンでもあり信奉者でもある岡さんという人が池上の駅の近くに小さな花屋さんを開いていた。背のひょろっと高い、目のぎょろっとした花屋らしくない花屋さんで、たしか文化放送の「お便りありがとう」とか言う番組に尾崎士郎のファンということで投稿してきたらしい。おしゃべりで話好き、玄関にお茶菓子を出すとそのおしゃべりが延々と止まらない。ただそのおかげで新築の家の庭は、見事なまでにバラ園に生まれかわった。とにかく、岡さんの商売を抜きにした一本気のおかげであった。若い私はバラの花の見事さには手を叩いて喜んだが、岡さんの喋り好きにはいささかヘキエキしていたのは確かである。でも今思うとあの当時の岡さんは商売抜きにして私のバラに心血をそそいでいた。私のバラと言うより私の父に認めてもらいたかったのだろう。今残っている白いバラの木はまさに岡さんのバラなのだ。
 岡さんにとって一番の難点は私の犬好きだったらしい。岡さんは私が何よりも犬が大事と言う姿勢は納得がいかぬようだった。子犬はすぐその辺の土を掘り返したたり、堆肥を引っ張り出したりする。岡さんにとって犬は天敵そのものだったらしい。岡さんは最初父から娘が家をたてたので庭をちょっと見てやってくれと言われたのが何より嬉しかったらしい。とにかく献身的と言って良いくらい張り切ったのである。元々何も無いところに日当たりだけはよかったので、わたしの庭は道ゆく人が誰もが足を止めるほどの見事なバラの家になっていった。その頃の私はバラが綺麗に咲くのは嬉しかったが岡さんの惜しみない誠意と努力についてはなおざりにしていたようだ。バラたちは毎年見事に花を開いた。あの当時の私は岡さんのおしゃべりにヘキエキしながら岡さんがどんなにバラの花に心を寄せているか考えもしなかった。でもあの見事なバラの花と香りは再現したくてももうどにもならない。
 今や老木になった白いバラ、今年も見事に咲いた。年々このバラが咲くたびに岡さんの大きい自転車や油粕が目に浮かぶ。岡さんは比較的早く世を去った。癌だったと聞いた。そう言うものとは無縁の人に思えたのに。病院とか医者とかは嫌いなひとだったから不本意な晩年だったのかもしれない。油粕を積み上げて自転車を漕いでいた岡さんの姿が浮かぶ。:
  花屋の岡さんが亡くなって私の家の庭のバラも、手入れだの肥料だのに心を配る人はいなくなったのに、その白いバラだけは今年も見事に生い茂っている。その白い、どこか野性味のあるたおやかさを漂わせて、うちの庭にバラが咲いているという存在感をみせてくれる。どんな花にもそれなりの物語がある。無骨で不器用な、花屋さんらしからぬ花屋さんで、うちの犬を目の敵にしていたけれど、本当は心優しい人だった。岡さんの何度聞いてもちっとも面白くない長談義、花屋にしてはうるおいにも洒落っ気にもかけるおじさんは、いなくなった後で何気ないおかしみや懐かしさを私の家の庭に落とし込んで行ったようだ。


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