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梟翁夜話(きょうおうやわ) №39 [雑木林の四季]

「さらば、ちびまる子」

                翻訳家  島村泰治

「のらくろ」や「フクちゃん」と幼時を過ごしながら漫画を貶(けな)すのはどうかと思いながら、大人になってまで絵と吹き出しで物語を追うのは愚の骨頂だと決めつけていた私が、ひょんなことである漫画に憑かれたのだから分からないものだ。

憑かれたとはいえ、まさか漫画雑誌を抱える身になったわけではない。テレビで垣間見てから習慣的に愉しむようになったのだ。「ちびまる子」という変哲もない子供向けの漫画、さくらももこという作家のものだ。設定もさして凝ったものではなく、ある家庭の一人の女の子の日常を編み上げるオーソドックスな漫画だ。

舞台は作家の故郷清水、次郎長一家縁(ゆかり)の言葉遊びもあってか、風情がどこか懐かしい。幼時に追分鎌太郎宅を石松が訪ねるくだりを暗唱までして真似語りをした虎造節に馴染んでのことか、主人公のまる子の語り口にそれを編み込む作者の心意気がなかなか魅力的だった。

だった、と云うにはわけがある。この作家はまだ若くして先ほど物故されたのだ。この漫画は絵がいい、科白回しもいい、主人公のまる子に自分を織り込む才覚がまたいい、それにワキの父親ひろしの為体(ていたらく)と祖父友造の孫への盲目がドラマを生んで飽きさせない。時の話題を挟み込んで家庭教育もするなど、この作者の芸は水準を超えていた。

物故されてしばらくは何のこともなく、作者を偲びながら小粋なまる子ばなしを愉しんでいたのだが・・・。つい先日のこと、たまたま見たエピソードに違和感を覚えた。言葉遣いが作者らしからぬ無理がある。筋に荒っぽさがある。そう思えば絵もどこかどぎつい。前振りの絵扱いも俄に毒々しくなった。

はた、と気づいた。これは作者本来の作品を使い切って代役が登場したに違いない。筋書きに作者のエスプリが見えない。さくらももこの余韻を殺すまいと代役が貧しい才覚を無碍に振り回している、そんな感じがした。その次のエピソードも、小粋とはほど遠いちびまる子だった。

あれ以来、ちびまる子を見るのを止めた。所詮は愚行だと「初心」に返って漫画に背中を向けた。平成が閉じ令和が開く。ちびまる子は平成の徒花だったと、改めてこの作者とのひとときの邂逅をよき想い出と割り切った。

それにしても、破壊されたちびまる子は生き延びるだろうか。紛い物になってしまったまる子も可哀想だが、作者のさくらももこが哀れでならぬ。

もう、ちびまる子を見ることはない。

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