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多摩のむかし道と伝説の旅 №27 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

                 ー矢川水辺から谷保田圃へ天神様と為守伝説を巡る道-1

                    原田環爾

 国立の南部に湧水を集めた川が南東方向に流れている。川の名は矢川、矢川の水源のひとつは立川と国立との市境、立川側の羽衣町の矢川緑地保全地域にある湧水池であるが、大元はここより更に西の立川駅の南、錦町の立川段丘の崖下から湧出している。現在は暗渠となって東流し、矢川緑地保全地域に至って開渠となって姿を現す。緑地保全地域で新たな湧水を集めた矢川は、国立南部を南東方向に流れ下り、青柳段丘下の多摩川低地で府27-1.jpg中用水に注ぎ込んでいる。全長わずか1.5kmの小さな川であるが、清流とのどかな水辺の風景が素晴らしい。矢川の清流を受け継いだ府中用水は、小刻みに蛇行しながら谷保の田圃を東流する。府中用水の水辺も矢川に劣らずのどかな田園風景が見られる。また谷保田圃を望む青柳段丘や府中崖線には南養寺や城山、谷保天満宮など古社寺が佇み、国立の歴史散歩コースにもなっている。

 国立の地形に目を向けると3つの崖線がある。北から国分寺崖線、府中崖線、青柳崖線である。国分寺崖線は立川の砂川九番辺りから都心の等々力渓谷辺りまで伸びる全長約30kmの崖線であり、府中崖線は立川27-2.jpgの錦町に端を発し、国立の矢川・谷保を南東方向へ進み、府中・調布を経て狛江和泉地区の多摩川堤の旧六郷用水取り入れ口辺りで終わる全長約18kmの崖線である。一方青柳崖線は立川、国立地区の多摩川低地に断続的に形成された小さな崖線である。段丘崖には湧水があり、国分寺崖線では野川、府中崖線では矢川や下の川、根川など、青柳崖線では清水川となって流れている。
 このうち矢川は国立南部を南東方向に流れ、青柳段丘下の多摩川低地で府中用水に注ぐささやかな川である。
 主題の矢川という名の由来であるが、元は谷川と呼んでいた。水源付近が谷状になっていたことによ27-3.jpgるのだろう。また一説には元弘3年(1333)北条泰家が当地に来て、谷間より湧出する流れをみて谷川と名付けたともいい、また一説にはこの流域から黒曜石などの矢尻が出たことによるとするものもある。現在では江戸時代末期に手習師匠の遠藤由晴という人が、寺子屋の教材として七五調で記した『谷保案内』という書物に、この川のことを 「古き池こそ諏訪の淵、三家に久保に橋場こそ、流れもはやき矢川とや・・・」と、流れが早いので弓から放たれた矢のような川であると詠んでおり、これが矢川の名の起こりとされている。
 矢川の水源は立川と国立の市境の立川市側の羽衣町にある矢川緑地保全地域であるが、大元は更に西のJR中央線立川駅南の錦町(旧上ノ原)にある七小の北西の立川段丘崖中に、「井戸端」と呼ばれる家があり、その庭先に縦横1m、高さ60cmの井戸枠があり、それを乗り越えて湧水が27-4.jpg流れ出ていたといい、これが崖下を東流して矢川となっていた。ただ昭和10年から始まった道路改修工事で今は暗渠となってしまっている。また矢川や清水川が注ぎこむ府中用水は、慶長初年の多摩川の洪水で流路が大きく南へ移動し、その際生じた古多摩川の流路を利用して開削された農業用水路である。国立青柳から府中是政へ至る全長6kmの用水路で網の目のように伸びている、江戸時代には七ヶ村用水(府中宿の本町、馬場宿、新宿の三町と、是政、上谷保、下谷保、青柳村)とも呼ばれた。一説には承応2年(1653)開削に失敗した玉川上水の遺構を転用したのではないかともいう。 
 他方歴史的な観点から眺めれば、谷保田圃を望む青柳崖線や府中崖線下には南養寺や中世の三田城跡と言われる城山、それに多摩の古社谷保天満宮が佇んでいる。とりわけ谷保天満宮とその創建に関わる歴史は谷保の歴史の中心をなすものと言える。谷保天満宮は関東三27-5.jpg大天神の一つであり、天神様、すなわち菅原道真を祀る神社としては最も古い。谷保天満宮が創建される契機となったのは、菅原道真は右大臣であった昌泰4年(901)、左大臣の藤原時平の陰謀により太宰府に配流されたことに始まる。菅原一族は一家離散の憂き目に会い、三男三郎道武は8歳にして栗原郷谷保の地に流され、この地の豪族で県主の津戸貞盛の館(津戸屋敷)に身を寄せた。現在城山と呼ばれている所である。なお県主とは大和王権の地方組織であった県(郡の前身)の長で、国造の管理する国の下級組織である。その2年後父の死を知った道武は、亡き父を偲び父の像を刻み(丈75cmの衣冠束帯の27-6.jpg坐像)、これを祀って朝夕礼拝した。これが谷保天神の始まりとされる。古い記述では衣冠束帯に身を固めた2尺5寸の像で、一般公開は明治36年に行われた菅公一千年祭の折の御開帳だけという。一見甚だ稚拙な一刀彫の座木造という。現在のご神体は桧材の寄せ作り。太刀は佩(は)佩かずに笏をとり、眼は玉眼(水晶使用)で像全体に彩色が施されている。台座も雲暈(うんげん)雲暈彩式が施されている精緻なもの。後世になって原像を模して誰かの手で制作された可能性がある。道真像はその後、府中の多摩川中洲の天神島に祀られた。ちなみに日新稲荷社に発祥地碑が立っている。

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