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いつか空が晴れる №58 [雑木林の四季]

      いつか空が晴れる
         -カティア・ブニアティシビリー

                      澁澤京子

ずいぶん前に、you tubeを検索していたら、森の中で、ピアソラのリベルタンゴを連弾で弾いている二人の美少女がいて、特にそのうちの一人がすごい迫力で演奏していたので圧倒されたことがあった。

Khatia Buniatishiviliとある、カティア?あとは何て読めばいいんだろう?と思ってたら最近、彼女の名が「カティア・ブニアティシビリ」とちゃんとカタカナ表記され、さらにグルジア人であるとかネットに出るようになってる。結構、有名らしい。

ピアノの才能はもちろん、あれだけの美人だったら、有名になるだろうなあと思う。いまどき珍しい、物語に出てきそうな、ロマンティックな雰囲気のある美人なのだ。
トルストイのアンナ・カレーニナってああいう感じの女の人だったんじゃないだろうか?と、こちらの想像力を掻き立ててしまうタイプの、神話的で情熱的な感じの美女なのです。

リストやショパンのようなロマン派の作曲家が彼女にとてもよく似合っているのはもちろん、ドビュッシーの『月の光』が素晴らしい。抑えたタッチの演奏がまるで青白い月の光のようであるし、また、東洋的な水墨画のような静けさもあって、興味を持たれた方はいずれもyou tubeで聴くことができますのでぜひお聴きになって見てください。

思うに、才能っていうのは何もない空間からパッと異次元の世界を摑みとって展開して私たちに見せてくれるようなところにあるんじゃないかと思う。
カティア・ブニアティシビリは紛れもなく私たちに、何もない空間から物語の色彩豊かな情景を見せてくれることができる稀なピアニストなのだ。

最近は街でよく、若いきれいな女の子を見かける。でも、なんとなくコンビニスウィーツのような日常的な美人が多くて、非日常的な贅沢な感じの美人というのは昔に比べるとぐっと少なくなったような気がする。

昔、渋谷を歩いていたら、ショートカットにすらっとしたスリムな長身、裏地が赤の紺色のダッフルコートとシガレットパンツで颯爽と歩いているかっこいい美人がいて、越路吹雪だった。
彼女はそんなボーイッシュな格好でも、非日常的な贅沢な空気をエレガントにまとっていて、全く生活感というものがなかった。
明らかに、ふつうの女性とは全く異質な、彼女独自の雰囲気を持っていた。彼女の周囲だけ、とても贅沢な空気があったのだ。きっと、普通の主婦のように洗濯しても料理をしても、このエレガントな空気をいつもまとっていたのに違いない。

「モロッコ」のディートリッヒ、フェリーニの「81/2」のクラウディア・カルディナ―レ、「雨月物語」の京マチコといい、女をも魅了してしまうような妖しい魅力を持っているのは、彼女たちが豊穣な夢の女であって、ステロタイプではない様々な表情を、私たちに見せてくれるからだ。

質素な日常と、贅沢というものがはっきりと分かれていた時代の美人と、日常と贅沢の境界線が限りなくあいまいで、コンビニでもおいしいデザートを買える時代の美人では、美人の質も変わってくるのかもしれない。

すべてがフラットになっていき、それでいて人は不安で(~すれば~になる)式の自己啓発のハウツー本なんかが売れている。たとえ、それが占いのような気休めと変わらなくても、予測のつかない時代、人は何かにすがっていたいのかもしれない。

街の再開発でも、路地や古い建物が排除されてクリーンになっていき、ますます世界が均一化されてくると、限りなく閉塞感の強い世界になってくる。そんな無駄のない窒息しそうな空気の中では、日常や合理主義をはるかに超越したロマン主義の豊穣さ、過剰さが、最近私にはとても居心地がいい。

ロマン主義がアンチ合理主義であって、音楽を愛し、「自然に帰れ」を説いたルソーから、というのもなんだかわかるような気がする。

自然は多様な、色彩豊かな、個性的な様々な表情を見せて、しかも無意味なのであって、無意味であるからこそ美しいのだと思う。


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