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浜田山通品 №249 [雑木林の四季]

ノートルダムとサント・シャペル

             ジャーナリスト  野村勝美

 東松山市に高田博厚の彫刻プロムナードがあることを知らされて博厚さんの業績などを調べているうちに加藤周一にぶつかった。加藤は戦後最大の知性だろう。彼は51年秋にパリへ行き、森有正に紹介されて博厚さんやロマン・ロランに会う。私たちも戦後夢中になって読んだ『ジャン・クリストフ』や『魅せられたる魂』の大作家ロランは、「フランス精神の神髄を知りたければサント=シャペルへ行け」という。そんなことを加藤の『常識と非常識』や『羊の歌』で読んでいると、4月15日、ノートルダム大聖堂が焼けたとのニュースがとび込んだ。ノートルダムは私も一度だけのヨーロッパ旅行で対岸から見たかあるいは大聖堂内にも入ったかもはや記憶にないが、とにかく見たことだけは確かだ。ノートルダムを私も知っているのは『ノートルダムのせむし男』という映画が昔上映されたことによる。この映画も私は見たかどうか記憶にないが、たぶんせむしが差別語になっているのかTVも新聞もふれていない。
 ヴィクトル・ユゴーの作品では『レ・ミゼラブル』が有名だが、せむし男の原作名『ノートルダム・ド・パリ』は大衆小説としては映画化されるほどにおもしろい。中世趣味といわれたが、19世紀中葉にもノートルダムが衰えなかったのにはこの作品が大きな役割を果たしたといえる。ノートルダムはパリの中心地セーヌ川に浮かぶシテ島の東端にある。12世紀に着工し1320年に歓声した、ゴシック建築の最高峰、ナポレオン1世の戴冠式やパイプオルガン、ステンドグラスなどが有名だ。私は最初ロマン・ロランが「フランスを知りたければ」と言ったサント=シャペルは、お恥ずかしいことだがノートルダムのことかと思ったが、どうも違う。スマホで調べればすぐわかるのだが、私はそちらのほうは全くの音痴なので近くの図書館でようやく探り当てた。シテ島のノートルダムとは反対側にある。ルイ9世がキリストの遺物を納めるために1248年に建設。1階と2階に分かれ、2階の礼拝堂にはのべ600平方メートルのステンドグラス。パリ最古で最高の傑作といわれる。
 戦後第1回 の留学生に森有正がきて博厚さんに「サント・シャペルへ行け」と言われ、さらに1年後加藤周一は森有正に言われて行ったという。とにかく博厚さんは1931年にパリに行き、18年間一度も日本へ帰らなかった。「俗語とか駄洒落とか、大衆的なフランスのことばも彼の中によく入っていました。フランス人にきいてみると、高田は外人という感じよりも、日系のパリジャン、パリ人というふうに感じると言っていました」と、加藤は『常識と非常識』の中で言っている。戦時中ヨーロッパ事情を『日仏通信』を発行して伝え、戦中戦後、毎日、読売新聞の特派員記者としても活躍した。戦後57年に帰国、87年に死去。
 なおフランスにくわしい知人によれば、40年ほど前はパリの街にカソリックのシスターが多かったが、最近はほとんど見かけなくなったという。イスラムが盛んになる一方、ノートルダムなどは防火態勢さえ満足にできなかったのではないか。

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