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渾斎随筆 №31 [文芸美術の森]

奇 遇

                 歌人  会津八一

 私は一介の老書生で、決して骨董道楽などをするほどの餘裕を持たない。しかし史的研究の必要から、常々いくらか標本数の蒐集を心懸けてゐるだけのことである。其れ故格別人に談るほどの手柄噺などがある筈も無いが、最近に一寸面白いと云へぬことも無からうと、思はれることがあった。
 それは二枚の磚の話である。磚と云へば一種の煉瓦のやうなもので、正方形のものもあり、長方形のものもある。絵や文字が表面にあるものもあるし、側面にあるのもある。叉何も書いて無いのもある。支那では古来「敷瓦(しきがわら)」や「腰瓦(こしがわら)」として用ゐたほかに、墓陵の内壁を築くに用ゐたものもある。かうした磚は一つの墓から教百数千も出て来るが、文字のあるものは割合に少い。文字があれば書風を味はふことが出来るし、時としては同時に年代を知ることも出来るので、書道史の研究家には最も重要とされて居る。しかし最も少いのは繒のあるもので、有名な武梁祠や孝堂山の晝像石などと比較して、ことに珍重されるのである。
 ところが最近、出入の一骨董店から繒のある磚を手に入れたから見せたいといふ便(たより)があったので、早速見に行くと、それは所謂漢式の磚で、圖様は珍らしいはど精巧な人馬の繒でもつた。しかし惜しいことにその磚は上下二枚で一つの繒を成すべきものの下の半分だけで、馬に頭がない。乗ってゐる人物も足だけで上體はない。馬車も車輪だけで、蓋(がい)も駁者も無い。しかし私は四五年も前から別に一枚の磚を持って居た。その方は矢張り二枚あるべきものならば上の半分と見えて、頭ばかりの馬や人物があった。此の磚のことを遽かに思ひ出して、若しやと云ふ心のときめきを感じながら兎も角も直ぐに買ふことにきめた。そして翌朝届けて来るのを待ちかねるやうに合せてみると、正にピッタリと合ふ、人も馬も、車も、輪廓の線までもみんなピッタリ合ふ。のみならず、所々に灰被りらしい紬薬めいたものが附いて居る具合までも同じことだ。私は思はず一人で聾を揚げた。これは千七八百年前に同時に型を脱し、同時に窯を出て、同時に同じ墓壁に用ゐられた、云はゞ兄弟の二枚が、一度発掘されてから長い間別々に流浪した末に、遂に此の私の家の食堂のテーブルの上でめぐり合ったものらしい。奇遇と云ふものであらう。前から持って居た方は最初台湾の或る人が愛蔵してゐたものを、後に下谷方面の或る骨董店から私の手に帰したのであった。こんどのは京橋の或る店から買ったのだが、これは山東省からやって来たと云はれて居る。元来私には餘り面白い話はない。たまたまあればこんな事である。
                『短歌研究』第八巻第二号昭和四十年二月


『会津八一全集』 中央公論社

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