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浜田山通信 №240 [雑木林の四季]

高田博厚彫刻プロムナード

             ジャーナリスト  野村勝美

 3月末、埼玉県東松山市教育委員会から「高坂彫刻プロムナード高田博厚彫刻群」の資料とともに問い合わせの手紙が送られてきた。私が「福井文人会」の世話係をしていた頃の話などを伺いたいとのことだった。ごていねいに私がサンデー毎日にいた頃、文人会の諸先輩に出した日程の都合伺いの手紙のコピーまで同封されていた。もう50年も昔の話だ。とりあえずおぼつかない記憶をたよりに返事を出したが、私が驚いたのは高田博厚さんの彫刻が32体も東上線高坂駅から1キロにわたって展示されていることだった。高村光太郎、タゴール、棟方志功、新渡戸稲造、宮沢賢治、マハトマ・ガンジーなど国際的署名人像や「女のトルソ」など高田博厚をして国際的芸術家たらしめた主要作品のほとんどがプロムナードに並んでいる。一人の作家の彫刻がこんなにも多く展示されているのはおそらく東松山が唯一だろう。私はこのことを全く知らなかったから嬉しさが込みあげた。
 福井文人会というのは、戦後の混乱・復興期が落ちつきをとりもどした昭和42年頃、当時福井市長だった島田博道氏が、たしか民芸の宇野重吉と同級だった関係で文人会を提唱して始まった。あの頃の郷党意識は強く、すぐ中野重治、深田久弥、高田博厚、多田裕計、宇野重吉、水上勉さんらが集まった。いまの若い人は、名前も知らないメンバーかもしれないが、当時はその道の第一人者ばかり、なかでも高田博厚さんは渡欧してロマン・ロランに認められ、国際的に有名になった。パリでは、福井の蟹はうまいぞと言い歩いて「越前ガニ」とあだ名で呼ばれた。話題も豊富で、他愛もない話、戦前の福井の町の様子や田舎の暮らし向きなどが多かった。博厚さんとは関係ないが、中野重治が水上勉に「君のことを皆ミナカミベンと言っているが、ほんとはミズカミだろう」ときくと、「はい、ミズカミです。」と勉さんがかしこまって答えた。上越の水上をミナカミと言い出してから水上をミナカミというようになったという。
 博厚さんには「サンデー毎日」の書評担当時代に、鎌倉に新築されたアトリエへ著者のインタビューで一度お伺いしたことがある。谷合いの静かだが緑濃いこ所だった。紹介した本は講談社現代新書「偉大な芸術家たち ロダン ブールデル マイヨール」である。彫刻のことなど何一つ知らないのに、30年後輩の福井中学(現藤島高校)同窓生というだけで実に親切に手とり足とり教えてもらった。その本をもう一度読みなおしてインタビューを記事にしたが、ほとんどが中身の引用ばかりでいま読み返しても恥ずかしい。同じ頃みすず書房から発表された「ルオー」にも私あてに「一九六七年十月十三日 鎌倉にて 高田博厚」と威勢よくサインしてもらい宝物のようにしまってある。
 東松山のプロムナードには近くなんとしてもでかけるつもりでいる。

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