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立川陸軍飛行場と日本・アジア №177 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 御警護につけ 立川飛行隊の一部 突如出撃命令下る 関東防空大演習

            近現代史研究家  楢崎茂彌 

 防空大演習の予行演習始まる
 新京めざして飛びたち、伊豆半島の玄ケ嶽で遭難した朴敬元の遺体が8月9日午後1時34分に東京駅に帰ってきました。相羽有日本飛行学校校長が、プロペラと朴さんの遺品を抱いてホームに降り立ち、フランス大使代理177-1.jpgや阿邊日本航空輸送運行主任などが出迎えました。この日から、東京の中心から半径150kmを警戒地域とする関東防空大演習が始まっており、朴さんの記事は小さく、新聞は演習の記事と写真に埋め尽くされています。
 「関東防空演習規約」はこの演習の目的を“第三条 本演習は東京及其の付近要地の防衛に関し防衛部隊の訓練並関係官公衙、諸団体及一般官民の防空に関する施設訓練を向上するに在り。”と説明しており、単なる軍事演習ではありません。
 この演習に備えて、立川町では7月末に第五連隊の夜間演習を利用して、サイレンと警報を鳴らし、町中が一斉に消灯したあとで、第五連隊の仮想敵機が上空に姿を現すという予行演習を実施する計画をたてます。町田町は24日、八王子市は27日に予行演習を計画、西多摩郡は8月4日の予行演習のために第五連隊機の出動を依頼し、隊では都合をつけて拝島、五日市、青梅の上空を飛び消灯の様子を調査することになるなど、各地は準備に大わらわです。

  “吾等の帝都は吾等で護れ”
 新聞は人々に次のように呼びかけています“吾等自身の演習 軍部の参加は一部分 関東防空演習の最大の特徴は軍部の参加部隊が一部分で大半は関係官庁をはじめ各市民県府民である事だ。防衛司令官こそ林中将となっているが、演習顧問には香坂東京府知事をはじめ神奈川、千葉、茨城、埼玉等各県知事、また統監付きも幕僚将校はほんの小部分で、大部分は警視庁各部長をはじめ各府県の部長が当たっている。動員される人員も第一線はことごとく防護団青訓生、男女青年団、消防隊が出動し軍部からは飛行攻撃部隊、高射砲隊、照空隊が演習の一分子として加わるだけだ。”(「東京朝日新聞」1933.8.9)
  ラジオは、陸軍歩兵大佐中村鉄蔵の婦人講座「防空に対する 婦人の立場」を放送します。中村大佐は、東京神奈川千葉などの女学校などで講演を行ないますが、殆どの女性は余り関心を示しません。しかし、開戦になれば、首都や重要都市は徹底的に空襲を受けることは必至なので、市民の観念を根本的に改めなくてはならないとして、次のように言っています。
  “国家総動員で、国の全力は挙げて戦場に集中せらるるのであるから、男子として戦場に活動し得るものは、ことごとく外征に従い、国内の残るものは老人か婦人か子供である。然して、婦人のほとんど全部は、国内に残るのであるから、これが主体になって働かねば、防護が完全に行かぬことは明らかであろう。世界大戦中の英独仏における例を見ても、理解することが出来る。
 破壊、焼夷、毒ガスに対する避難、消防、防毒はもちろん、進んで防空監視に至るまで、ことごとく婦人がこれに任ずべきである。例えば、一家庭におけるが如く、男子は外に働き婦人は家を護る、即ち外征は男子の任、国内は婦人の責という迄に行かねばならぬと思ふ。救護、配給、傷病者の看護や、炊事担当はもちろん婦人の仕事ではあるが、単にこれだけではない。”
 これでは軍隊は国民を守らないと公言しているように聞こえますよね。
 当時の人気雑誌「キング」1933年9月号には“実戦同様!空前の大規模!帝都防空大演習の話”という記事が載っています。陸軍の石本五雄東京警備司令部参謀はロシアのウラジオストックを念頭に置きながら次のように語ります“さっき申した東京のみならず、商工業上の重点、大都市が海岸近くに暴露している。しかも、地形が空中から見ると、非常に判りいいから、この点でも狙われ勝ちであります。イタリアの航空大臣バルボは「今後の戦争では、劈頭で、きっと科学的奇襲が行なわれる」と断案を下しています。私も同感であります。我が精鋭なる陸海軍が、必ず敵の根拠地を奪ってくれるであらう、という信頼とともに突発的に行なわれる科学的奇襲に対して、国民は平時から、油断なく準備をして居て頂きたいのであります。
 要するに今回の防空演習は、我々は油断していないぞ、日本国民はこんなに緊張して居るぞ、ということを外国に見せ、また国民自身にもその自覚を一層強めていただく、これが本演習の精神的な大目的であります。”
 この大演習は、あくまで国民に“非常時意識”持たせることを目的としたものなのです。東京市が発行した「関東防空演習 市民心得」の表紙には“吾等の帝都は吾等で護れ”というスローガンが記されています。

 都心は煙幕、第五連隊は暗黒に包まれる
177-2.jpg 8月9日午前8時、演習開始が命令されると、防護団員が各所に散らばります。防護団の市民隊は在郷軍人会員、青年団員、青年訓練所生徒、女子青年団員、町内会役員、婦人会員などで構成されており、まさに国家総動員体制のようです。防護団は、警護班、防火班、交通整理班、防毒班、救護班、配給班などに分かれて活動します。まさに“吾等の帝都は吾等で護れ”を体現する役割を果たしたのです。
 この日は東京湾から侵入した仮想敵国機(海軍機)が月島上空に姿を現し、高射砲の砲撃にあい横浜方面に飛び去ります。
 立川町では、午後8時15分、突如として空襲警報が鳴り、雷鳴とどろく中、第五連隊、陸軍航空本部技術部、177-3.jpg立川衛戌病院など軍関係を含めて町全体が暗闇となります。
 翌10日午前8時15分、水戸北方から敵機が侵入し、関東全域に空襲警報が発令されました。9時半前には敵機が防衛司令部上空に現れ毒ガス弾を投下します(爆弾の代わりに、ピストルから危険がない曳光弾を発射しました)。12時前、参謀本部から白煙が上がり、間もなく宮城一帯や陸軍省は煙幕に包まれます。この時、南方洋上の航空母艦から飛び立った敵機が防衛司令部や市内を爆撃しますが、煙幕のために重要施設は被害を免れ、敵機は反撃により退去し、午後1時空襲警報は解除されました。
177-4.jpg 夕刻になると、敵機は再び東京に迫り、7時35分灯火管制が発令され、関東全域は闇に沈みます。東京東部に侵入した敵機は照空隊の集中照射を浴び、操縦士の目がくらんで全機が墜落、午後11時頃、土浦上空に侵入した敵機が爆弾を投下し南方に飛び去ると、この日の演習は終了しました。
 翌11日は、午前4時半に房総半島に迫る敵航空母艦に味方の海軍機が攻撃を仕掛けることから始まり、空中戦が展開され、敵主力は東方に退却し、午前6時、関東防空大演習の幕は閉じました。
 演習終了後に関東防衛司令官林中将は“演習実施の跡を徴しまするに、都市の防空は精神的準備と物質上の用意さえ完備して居りさえすれば、断じて恐るべきものでないとの私の持論を益々堅くするに至りました。”とコメントします。
 3日後に海軍省は次のような談話を発表しました。“海上の防禦に当たる海軍としては、どこまで敵の航空母艦を海上に撃滅して、我が国民をかくの如き戦争の惨禍のなかに巻き込まれぬようにし度いと務めて居るのであって、今回の様に敵の航空母艦を海上に於いて捕らえこれを撃滅するを以て防空の最良策とするのであるが、どうかすると敗残の敵機が帝都の上空に現れぬ共限らぬから、国民は平常より有形無形の準備を整えおくことが肝要である”(「関東防空演習に就いて」海軍特別大演習統監部員談 1933年8月14日 海軍省発表)。
 “戦争の惨禍に国民を巻き込まないように”いう表現にビックリしましたが、矢張り空襲は必至として国民に心構えを説くのは、陸軍と変わりませんね。
 こんな防空大演習を批判したのは桐生悠々ですが、彼のことは次回に紹介したいと思います。
 
 御警護につけ 立川飛行隊の一部 突如出撃命令下る
  関東防空大演習は、帝都防衛を任務とする近衛師団飛行第五連隊の出番です。「三多摩読売」(1933.8.10)は“今朝未明より某国敵機に依り帝都は襲撃を受け、往年関東大震災の如き混乱に陥りたり。飛行第五連隊は速やかにその一部を予定の部署に就き、宮城近火警御に任ずべし。”という命令が出たと報じています。ところが、「関東防空演習結構の概要」(関東防空演習統監部・1933.6.22)によると、演習に参加する航空部隊は“所沢陸軍飛行学校の一部、下志津陸軍飛行学校の一部、明野陸軍飛行学校の一部”となっていて、飛行第五連隊の名前はありません。はて‥。 


 図1    帝都防空要領図(円は半径150km) キング 1933年9月号
写真1番目  日本橋方面の煙幕       東京朝日新聞 1933.8.11
写真2番目  煙幕に覆われるニコライ堂   アサヒグラフ 1933.8.23号
写真3番目  敵機集中照射         東京朝日新聞 1933.8.11


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