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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」 №7 [文芸美術の森]

                          シリーズ≪琳派の魅力≫

              美術ジャーナリスト 斎藤陽一

    第7回:  俵屋宗達「蓮池(れんち)水禽図(すいきんず)」 
        (17世紀。一幅。各117×50cm。国宝。京都国立博物館)

 ≪和の水墨画≫

7-1.jpg これまで、琳派の先駆、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」について、5回にわたって紹介してきましたが、宗達の妙技は、水墨画においても存分に発揮されています。その傑作のひとつが「蓮池水禽図」です。
 縦117cm、横50cmの掛幅であり、国宝に指定されています。
 
 蓮の花が咲く池の水面には二羽のカイツブリが泳いでいる。
時刻は、夏の朝でしょうか。空気は靄に包まれており、そこに朝の柔らかい光が降り注いでいる。
 池からたちのぼる水蒸気や、湿り気を帯びた空気まで感じさせる玄妙な墨絵の世界です。

 わが国では、鎌倉・室町時代という中世に、中国から伝わった水墨画の影響を受けて、禅宗寺院を中心に盛んに水墨画が描かれてきました。
 このような状況の中で、中世の水墨画は、中国文化や禅宗などの教えを反映して、一種、精神主義的な絵画、という性格が強いものでした。
同時に、これを受容する将軍家や有力武士階級、公家層などでは、中国の絵画を至上のものとする“唐物(からもの)”尊重の気風がずっと続いてきました。

だから、画僧や絵師たちの間でも、中国の南宋や元の画家たちの画風や、彼らが得意とする主題にならって描く「筆様(ひつよう)」による制作が広く行われました。たとえば、「馬遠様」とか「夏珪様」とか「牧谿様」という具合に、です。(その中でも、雪舟の凄さは、そのようなものを吹っ切った独自の力強い水墨画を生み出したということだと思います。)
 
 このようなことを頭に置いて、宗達の「蓮池水禽図」を見ると、ここに到って、中国伝来の水墨画に見られた固くて強い線は消え、さらには、君子の逸話や儒教的教訓、禅の教えとか、仙境に遊ぶ、と言った精神主義的なものが払拭されて、いかにも日本らしい湿潤な風土がもたらす季節感や情緒が“絵画的に”表現されています。 

≪たらし込みの技法≫

 このような絵画世界を現出させ得たのは、宗達が極めた「たらし込み」の効果によるでしょう。
 「たらし込み」とは、前回にも触れたように、一度紙の上に置いた墨がまだ乾かないうちに、濃淡の異なる墨をその上から垂らし、にじみやムラを故意に生じさせるという技法です。
7-2.jpg 言わば、輪郭線を用いずに、ものの形や質感などを表現する方法です。とは言え、「たらし込み」は偶然に任せるところがあり、結果が出るまではわからない。誰がやっても出来るというようなものではありません。
 宗達が到達したのは、他の人には簡単に再現できないと言われるレベルの、きわめて高度な水準の「たらし込み」なのです。

 「蓮池水禽図」の蓮の部分を見ると、蓮の葉などはほとんど輪郭線を使わず、「たらし込み」による絶妙な墨のにじみ具合で表現されています。
 蓮の花をなぞる線も柔らかくふくらみがあり、これらによって、蓮を包むしっとりとした空気や穏やかな光に加えて、蓮の花のほのかな匂いさえ感じられるようなものとなっています。

7-3.jpg 一方、水面を泳ぐ二羽のカイツブリに目をやると、こちらは、細い墨の線が丁寧に用いられ、繊細な羽毛の濡れた具合や、上方の鳥のぶるっと羽根を震わせる様子まで描写されています。水中に潜って水面に出てきたばかりなのでしょう。

 かくして、この絵に見入るとき、私たち自身も、夏の朝の清涼な空気に包まれ、眼前の水面に引き込まれるのです。
 「蓮池水禽図」は、宗達の水墨画の中でも、卓越して完成度の高い作品であり、「これぞ日本の墨絵!」と言いたくなる“和の水墨画”です。

 次回は、俵屋宗達の絵と本阿弥光悦の書が織りなすコラボレーション作品を取り上げます。


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