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梟翁夜話(きょうおうやわ) №36 [雑木林の四季]

「野茂とイチロー」

                翻訳家  島村泰治

イチローが引退したと聞いて、やはりそうか妙に納得した。コンマ以下の打率が続いていてさぞ辛かろうなと思っていた矢先だった。日本に開幕戦で帰国した時の奇体なターバン姿に影があった。あるいは、という予感が中ったわけである。そんなイチローの後ろ姿に、スポーツではむしろ華奢な造りの一人の日本人があのアメリカで舐めたであろう辛苦が読み取れて、思いなしか迫るものがあったのである。

私は中学のころ卓球部に所属していたので、荻村がシドを破ったニュースには沸いても野球は専ら観る方で、精々赤バットの川上や青バットの大下を聞き覚えている程度、それも色の付いたバットが面白くてのことだ。遊び半分の三角ベースでも、振ったバットに球が当たった記憶がないくらいだから推して知るべしだ。サンフランシスコ・シールズが来て巨人と戦ってどうだったか、それもうすらぼんやりの記憶でしかない。

長じてアメリカに留学、あの国ではスポーツといえば野球かバスケ、冬には例のアメフトで、卓球などはキッチンの遊びでしかないからやるスポーツがない。勢い見る側に回るわけで、そのどれにも馴染むようになった。ロスの数年間ではドジャーズ戦を観にスタジアムに通った。ドライスデールとコーファックスの両輪が絶好調のドジャーズは強かった。マッチョな連中が暴れまわるMLBは、赤青バットの風景とは別世界だった。なるほど国技だけのことはある。ここに日本人が飛び込む余地があろうとも思えなかった。

帰国しての年月、野球への見方は変わった。帰ってしばらく日本の道路はどうしてこう狭いのかと戸惑ったように、日本の野球がちまちまして見えた。どうも野球が違うな、という印象だ。だから、1995年に野茂英雄があのドジャーズに乗り込んで「ものになっている」話が俄かに信じられなかったのである。

そう、野茂英雄。トルネードという彼の投法が、あのマッチョ連中をキリキリ舞いさせているというのは実(まこと)か?それ以来、野茂の投げる試合を待ちかねて観るようになった。じつは村上某という投手が先鞭をきっていたことをその頃知ったが、さすが野茂像は大きく印象に残った。

その後、だれかれと MLBに挑戦してほどほどの活躍をしているのは承知しているが、ことMLB制覇の感覚で野茂を出るものはいない、いやいなかったのである。もちろん、イチローの登場までは、ということだ。

そう、野茂のMLB挑戦が鮮烈だっただけに、そのあとに海を渡った連中は所詮野茂の影を追う金魚の何とやらに見えたのだが、イチローが名乗り出て様子が変わった。譬えれば仕立て職人肌のバット捌きを披露するイチローに、野茂の再来を見た。その後の活躍は諸賢とうにご承知のとおり、ほぼすべての難球をさり気なく左右に打ち分けて異様なまでの高打率を挙げ、恐らくは永劫たどり着けまい数々の記録を積み上げたイチローの快挙は、チェンジアップの切れ味で群れ来るバットを沈黙させたコーファックスの勇姿に重なる野茂の英姿に優に比肩するに充分だ。

これは野茂の影などではない、本物だ。ものごとに左右があるなら、野茂とイチローは左右の銘木、いずれが菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)の趣だ。野茂がいわば身ひとつで「敵地」に乗り込んで「血路」を拓いたのと同じ手管で、イチローもまた独創的な打法を切り拓き、バットを包丁に見立てて敵の国技を捌いて見せた。幼い頃少国民としてあの国をいっとき敵国と眺めた私には、この番(つがい)の銘木の咲かした花に勝(すぐ)る風趣はない。

野武士風な野茂がそうだったように、一刀流を極めた剣の達人然たるイチローも、裏で野球を支える側に回るであろう予感がする。それでいいのだ。線でなく点を打っていた彼の天性の打法は、所詮そんじょそこらの群像には分かろう筈もないのだから、一線を引いた今、野卑なメディアにいたぶられることなく、今様「五輪の書」でも綴ってほしい。

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