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多摩のむかし道と伝説の旅 №24 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

鑓水商人の夢の跡、絹の道・浜街道をゆく 4

                    原田環爾

24-1.jpg 市道に入り緩やかな坂道を下る。右手は子の神谷戸の田畑が広がる。少し下ると左手に風格のある黒い板塀で囲まれた建屋が目に入る。絹の道資料館で石垣大尽と呼ばれた八木下要右衛門の屋敷跡に建てられた。館内には鑓水の歴史展示物とともにわかりやすく解説されている。八木下要右衛門家は、屋敷に異人館と呼ぶ螺旋階段のあるハイカラな建物を建て、イギリス人アーネストサトーも立寄ったという。しかし明治3年三代目の息子敬重の時、殺傷事件を起こして没落したという。平成2年そこに八木下家の母屋を模した入母屋風の絹の資料館が建てられた。絹の資料館の前からほんの少し坂道を下るとすぐ右手の土手に一里塚の跡がある。八王子から丁度1里に相当する。更に坂道を下りきると大栗川に架かる御殿橋がある。その手前10m程の所に子の神谷戸に向かう道がある。谷戸道の傍らには幅1m程の細くなった大栗川の源流が流れている。この先200mも進めば鑓水の鎮守諏訪神社がある。諏訪神社は子の神谷戸の最奥にあった子の24-2.jpg神神社、日影谷戸の諏訪神社、それに片倉村にあった八幡神社の三社を、明治10年現在地に合祀し名称を諏訪神社として継承させたものだ。鳥居をくぐり急階段を上りつめると拝殿がある。拝殿の後ろの本殿には先の三社が納められている。また本殿左少し離れて古びた子の権現の旧本殿がある。拝殿前には石灯籠4基あり、内2基には豪商八木下要右衛門、大塚徳左衛門の名が刻まれており、石灯籠を寄進したありし日の鑓水商人の栄華が偲ばれる。
24-3.jpg 先の御殿橋に戻る。橋の下の大栗川は、鑓水の丘陵を水源に柚木街道、野猿街道に沿って東流し、関戸橋下流約400m付近で多摩川に注ぐ全長約15.5kmの川だ。橋の欄干に道了堂のレリーフ『武蔵国南多摩郡由木村鑓水 大塚山道了堂境内之図』がはめ込まれている。絹の道が栄えた頃の道了堂の境内の様子を窺い知ることが出来る。また橋の袂には鑓水の道標と呼ばれる石塔が立っている。もとは御殿橋を渡った大栗川右岸の鑓水村公会堂の前にあったが、川の改修工事にともない昭和63年現在地に移された。正面には「此方八王子道」、東面には「此方はら町田、神奈川、ふぢさわ」、西面には「此方はしもと、大山、津久井」、裏面には「慶応元年(1865)仲秋建立」と刻まれている。御殿橋袂の道標を後に川沿い下流へ100mも進めば嫁入橋がある。橋の北側の集落の里道に入ると永泉寺がある。弘治元年(1555)創建された曹洞宗の寺で山号を高雲山と称す。嫁入谷戸の入口に位置し、鑓水商人の栄枯盛衰のすべてを見届けてきた寺だ。寺のすぐ近くに大塚徳左衛門、や平本平兵衛の屋敷があった。ちなみに永泉寺の本堂は明治17年の大塚徳左衛門家の火災の飛び火で焼失した。現在の本堂は没落した八木下要右衛門家の母屋を移築したものだ。(つづく)


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