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渾斎随筆 №29 [文芸美術の森]

槻の木
                  歌人  会津八一

 もうかれこれ、餘つぽどまへのことになるかも知れない。第一學院の講師室の御ひる時、今迄見えなかった窪田君が忽ち目の前に立ちあらはれて、例のにこやかに
「オイ一つ御願ひがあるのだがね」
 此人から、かう出られると、たいていろくな事で無いから、先づ以って困りながら聞いて見ると、果せるかな字を書けである。
「頼まれて来たのだが、槻の木といふ三字を、横に書いて見せて貰ひたい」
 もう、給仕か何かの辧當箱のやうな硯箱を胸さきへつきつけて動かせない。
「槻の木つて何だ」
「知らない」
 澄ましたものである。敵がかう肉迫しては、我等砲兵は駄目だ。すぐ降参して、たしか學校の赤い罫の便箋の裏へ書いた。生徒の習字でも取り上げるやうに、にこにこと、しかも威厳を見せながら、さっさと引き上げて行った。實に神出鬼没である。
  間もなく其三字を表題に刷った雑誌が贈られて来た。久保田君の家来共の出す雑誌である。私は其三字を見ただけで、ほかは讀まなかった。何うも気に人らぬ書き方をしたものであった。筆が平たくて、字に奥行がない。せいぜい給仕の筆のせゐにしても、それにしても平たすぎる。かういふことを考へ出すと、人の歌などをゆっくり讀んでゐられるものではない。
 これは新聞のやうに折り畳んだもとの『槻の木』のことである。いいことに間もなく休刊といふことになった。いづれ廃刊だらうと私は大に喜んで居た。
 すると昨年かとおもふ。こんどは都筑尾張守がやって来て、やはりにこにこと申されけるには、雑誌はめでたくまた再刊する。もとの文字をあのまゝに使ふ。それについて異存は無いかと、それを云ふのに、しきりににこにこするのである。これまで使ひ古したものを、急に相成らぬといふわけにも行くまい。若しそれが相成らぬならば、此際御書き直しを平に願ひ上げ奉る。ことによるとこんな口上を、うしろの槻の大木の蔭に隠れて居る御大が教へ込んでおいたかも知れない。逃げ路は塞がれて居る。一も二もなく異存無しとしてしまった。そこで尾張守の恭しく差し出される表紙の假組を見るに、これは叉何としたことか、字と字の間が相距ること萬里、各天の一涯に漂って居る。筆の平たいどころの話でない。驚き慌てて一字々々を鋏でくりぬき、にこにことして見物する尾等を前にして、むきになって岡目八目のやりくりを一時間もくりかへし、やうやう渡したのが、近頃の菊版のそれである。が、そのま印刷になって出来て来ると、私は最初よりもつと憂鬱になった。「槻」とい字が「の」の上に乗りかかって居る。毎號同じやうに乗りかけて居る。それを気にしながらもはや二年餘りになるのである。
 そこでこんどは、私の方から書画を以て申し入れて日く、新春を期して面目刷新のつもりで、「槻」と「の」の間を、何とぞ一分だけ御開き相成度く、そこで何んなことになるであらうか。筆の平たいの何のといふのはきりようよしのつもりに産んだ小供の鼻が、思つたより低かった位のことであるが、鼻の下の長過ぎたのを、鋏で切ってゴム糊で貼りつめたりまた伸したりであるから、私はもう知らない。ことによっては、また廃刊を所るやうなことになるかも知れない。
                       (昭和七年十二月十六日熱海にて)

『会津八一全集』 中央公論社


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