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浜田山通信 №238 [雑木林の四季]

「卒爾ながら」

            ジャーナリスト  野村勝美
 
 「週刊金曜日」に四方田犬彦という人の山折哲雄先生会見記が出ていた。山折さんは私は著書を読んだこともお会いしたこともないが、哲学者でとくに親鸞に造詣が深く、迷える衆生に生きる糧を与えてくれる人と思っている。 ファンも多く、著書もベストセラーになる。その人が親しんできた「長谷川伸全集」「柳田国男集」そして「親鸞全集」まで人さまにあげてしまったという。身軽になりたいからだったらしいが、先生より2歳も年上の私にもわかる気がした。
 親鸞や道元と違って私には生涯一人の先達を学びつくしたという人はいない。「柳田国男集」や「真宗辞典」や「丸山真男集」、「レーニン全集」「スターリン集」「毛沢東全集」「クロポトキン集」「現代日本文学全集」も持っている。しかしどれも読んでいない。単行本でも中野重治、堀田善衛、武田泰淳、鶴見俊輔、加藤周一など多くの著作をもっており、時に手にとってみるが、しきりと傍線がひっぱってあり、しかし何一つ覚えていない。昔から記憶力は悪い。頭の良しあしは記憶力によると信じており、大学でのロシア文学も早々にあきらめた。
 だから今頃になって何もかも捨てて身軽になるといわれても困るのだが、なぜこんなことを書き始めたかというと、卒寿という言葉が頭から離れないからだ。卒はいうまでもなく九十の当て字、喜寿は七十七歳、米寿は八十八歳、白寿は百から一引いた九十九歳、かなりいいかげんなものだ。昔は年寄りが珍しかったから米寿なんて餅をついてお祝いをしたりした。賀寿もそれなりにおめでたかったのだろう。私の父親など七十歳で古稀の祝いを芦原の温泉旅館で盛大にやったあとまもなく脳卒中に見舞われ、その後十数年不自由な老後を送った。
 それはともかく、賀寿は数え年で数えると知ってからガク然となった。なんだ去年卒寿になっていたのではないか。卒寿とは人生を卒業する年、学校の卒業式はおめでたい。しかし人生の卒業、りっぱな人生ならそれもよいが、私のようなできそこないの人生の卒業はめでたくもなんともない。しかも近頃はあらゆることを忘れていく。横幕玲子編集長に卒寿だから「浜田山通信」をやめたいと申し入れたら「卒業しないでください」といわれた。老人をおだてるのがうまい編集長だ。しかたがないので卒寿をすぎた人が何を考えて生きているか少し調べようとしたが、もの書きで文章を書き残した人は男ではほとんどいない。日野原重明、むのたけじ、金子兜太、別格で101歳の日高六郎、100歳三笠宮崇仁くらいのもの。しかもこの人たちは特別であり、ふつうの名もない人間のは何もない。あるかもしれないが、まず目にとまらない。
 よって卒爾ながら以下時折、卒翁のつたない文章を綴らせてもらう。それにしても卒中、卒倒、卒去、ロクな言葉がない。東日本大震災から8周年の日に。

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