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対話随想余滴 №9 [核無き世界をめざして]

余滴9 中山士朗から関千枝子様へ

                 作家  中山士朗

 私が病気で入院したために、関さんが連続して筆を執られるようになったのは、今回で三回目です。このたびは、重い肺炎にかかり、かかりつけの病院から国立病院機構の別府医療センターの呼吸器科に送られて、二十日ほど入院いたしました。老齢者の肺炎は危険だと後で知り、ぞっとした次第です。作家の橋本治氏が肺炎で亡くなられたのは、私が肺炎になった同じ時期だったということを新聞で見て知りました。
 こうした事情から、関さんが止む無く忙しい最中、往復書簡が途切れぬようにと執筆して下さったことに心から感謝しております。この背景には、私たちには被爆者として、死ぬまで原爆廃絶に向けて書き続けていくという強い意思があるからです。
 しかし、人間の生命には限りがあるのを、八十八歳の現在に至ってようやく実感できたというのが正直なところです。このたびの二度のお手紙には、戦争を知る世代の死が多く伝えられていました。そのなかでとりわけ心に残ったのは、朝日新聞の「天声人語」氏とも言われた辰濃和男さんの「辰濃文庫」に関する文章でした。辰濃さんにつきましては、私たちの「対話随想」にも書かせて頂いたことがあり、振り返りますと、その美しい文体と温顔がたちどころによみがえってきます。その背景に、二万冊にも及ぶ蔵書があったことを関さんのお手紙によってはじめて知りました。
 その辰濃さんから、日本エッセイスト・クラブ賞の受賞式の時、私の文体を褒めて頂いたことは、今でも思い出しますと胸が熱くなります。関さんが「対話随想」が出版することができたら、「辰濃文庫」に納めたいと語っておられましたが、ぜひそうしていただきたいと思っております。そして、あらためて関さんにとっても私にとっても、辰濃さんとの縁の深さを思わずにはいられません。ぜひとも「辰濃文庫」を訪ねてみて下さい。そのご報告を楽しみにしております。
  以上が、前回頂いたお手紙を読みながら感じたことを書かせてもらいましたが、そのなかで気にかかる個所がありました。それは中塚先生とお会いになられた際の、外反母趾についての会話でした。関さんがそのような病状を抱えておられることをつゆ知らずにいましたが、お手紙を読んではじめてそのご苦労を知ったという次第です。
 そうした状況にあるとき、西田書店の日高さんから、関さんが大腿骨を骨折され、更生年金病院に入院されたとの報告を受けました。一ヶ月の入院ということでした。折り返し詳しい情報を聞くために電話しましたが、連絡がつかないということでした、
  瞬間、私は、前回の手紙のなかでの文章を思い起こさずにはいられませんでした。
  会の終了後、中塚先生にお連れ合いのことを伺ってみましたら、「もう歩くことができなくなり、私では介護できず施設に入りました」ということでした。お連れ合いの足が悪くなったのは、外反母趾からだそうで、私の足をご覧になって「あなたも用心しなさいよ」と言われてしまいました。靴を履いていても私の足、外反母趾と分かりますので。先生はそれで一人暮し、料理も洗濯も一人でなさるそうです。
  こうした内容が綴られたお手紙を拝見した後で、「余滴」⑤の関さんの文章が浮び上がってきました。正月料理をしつらえられた後に、述べられた感想で、私の心の隅に響いた言葉でした。
 
 しかし、この味でいいのだろうかなど不安に思ったり、年相応の衰えは如何ともしがたい。多分来年はできないだろうなど子どもたちに言ったのですが、まあ、どうなりますやら。
 とにかく、今年は絶対に頑張りたいと思います。そして、物書きとして、死ぬまで書きつづけたいと思います。もし、体が動かなくなっても、頭だけはしっかりして、物が書ければいいなと思っております。

  この思いは、私も同様です。
二月に肺炎を患い、不意に〝死の予感〟を覚えたときの時間に通ずるものがあります。どうか、お力落しなく、治療に専念して下さることを析っています。

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