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論語 №70 [心の小径]

ニ一七 子貢いわく、美玉(びぎょく)ここに有り。匱(とく)におさめててこれを蔵せんか。善賈(ぜんこ)を求めてこれを沽(う)らんか。子のたまわく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。われは賈(こ)を待つ者なり。

                 法学者  穂積重遠

 これは孔子様が盛徳(せいとく)をいだきながら仕官されないのを、子貢が「宝の持ちぐされ」と惜しみ、例の美辞麗句のたとえをもっておたずねしたのであって、孔子様と子頁との問答はいつもながらおもしろい。「匱」は箱のこと。「賈」を「こ」とよんで買い手と解したが、「か」とよんで値段と解する人もある。

 子貴が「ここに美しい玉がありはすが、櫃(ひつ)に入れてしまっておきましょうか、あるいは善い買い手をさがして売りましょうか。」と言ったところ孔子様がおっしゃるよう、「売ろうとも、売ろうとも、わしは買い手を待っているのじゃ。」

 孔子様の言葉には、「しかしこちらから売りつけることはしない。」という意味がふくまれている。すなわち「これを用うればすなわち行い、これを舎(お)けばすなわち蔵(かく)」れるのである(一五七)。

二一八 子九夷(きゅうい)に居(お)らんと欲す。或ひといわく、陋(いや)しきことこれを如何(いかん)。子のたまわく、君子これに居る、何の陋しきことかこれあらん。

 支那(シナ)は中国で、四方は皆野蛮国、という風に考えていたので、それがすなわち
東夷(とうい)・南蛮(なんばん)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)である。そして東夷が九カ国あるというのが「九夷」なのだが、その中に「倭人(わじん)国」というのがあり、それが日本だなどという。そこで伊藤仁斎などは、孔子が本国に愛想をつかして、いわゆる「夷狄(いてき)の君ある」(四五)日本に渡ろうとしたのだと説く。私は仁斎先生の説には感服して、おりおり引用するが、これなどはどうかと思う。「桴(いかだ)に乗りて海に浮ばん」(九八)の場合と同様、実際に外遊しようというのではなくて、天下道なきをなげく孔子様の歎声にほかならぬのだ。本章の「或ひと」なども、本当のことと思って口を出したのだろう。

 孔子様が東夷の国に住もうと望んでおられると聞いたある人が、「風俗が野蛮下等でどうにもなりますまい」と言ったのに対して、孔子様がおっしゃるよう、「君子が行って住めば、その感化によって風俗善良となりそうなことじゃ。何の野蛮下等なことがあろうか。」

 「言(こと)忠信、行い篤敬(とっけい)、蛮貊(ばんばく)の邦(くに)と雖も行われん」(三八一)という孔子様の自信が、ここにもあらわれている。

二一九 子のたまわく、われ衛(」えい)より魯(ろ)に反(かえ)り、然(しか)る後楽正しく、雅頌(がしょう)各(おのおの)その所を得たり。

 魯の哀公の十一年、孔子様六十八歳の時、衛の国を最後として魯に帰り、門人の教育と古礼・古楽の復興とに専念したのであるが、音楽整理の成績を自ら満足して語られた言葉。

 孔子様がおっしゃるよう、「わしが衛から魯に帰って以来骨折ったかいあって、乱れていた音楽が是正され、朝廷の舞楽なる雅、宗廟(そうびょう)の舞楽なる頌、その他それぞれ正しい音楽が正しい場合に演奏されるようになった。」


『信也う論語』 講談社学術文庫

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