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じゃがいもころんだⅡ №4 [文芸美術の森]

小説に魅せられる

              エッセイスト  中村一枝

 最近とても面白い小説に出会った。井上荒野さんの「あちらにいる鬼」。朝日新聞出版から出ている。小説を読んだあと久しぶりに小説の醍醐味に触れた気がした。井上荒野さんは大分前に亡くなられた作家井上光晴氏の娘さんで、以前からいくつも小説を書いておられる。わたしがまだ高校生の頃、父尾崎士郎のところに送ってくる文芸雑誌でよく名前を見たから覚えている。多分その頃は雑誌をめくって読んでもチンプンカンプンでわからなかったのだろう。わかりやすそうな、会話の多そうな小説に乗り変えていた。その娘さんが50歳前後で以前から小説を書いておられるのは知っていた。それが井上荒野さんである。女の子の名前にしてはずいぶん大胆な名前だが、父上はその女の子にある種の夢を託したのかも入れない。夕刊の記事を見ていたらなんだか急に読みたくなった。本屋に走った。だいたい走れる足でもないのにかなり強引に歩いた。
 そして読み始めて半日机の前を離れなかった。久しぶりに小説らしい小説を読んだという充足感と興奮を抑えられなかった。そして作中のモデルになっている主人公の愛人が瀬戸内寂聴さんだということもはじめて知った。寂聴さんを好きだとか嫌いとかは関係なくこの小説の優れたできばえに興奮したのである。以前にも一回か二回、文芸雑誌に掲載された井上荒野さんの小説は読んだことはあった。でもこれほど惹きつけられた小説はほんとうに久し振りだった。
 わたしの父尾崎士郎が作家宇野千代さんと6年間結婚していた事を知ったのは、多分高校生位の頃だった。何かの会の席上、父と宇野さんがすれ違った。「あら士郎さん」、宇野さんが近づいてくるのを映画の中の一場面でも見ていたように見ていたことを思い出す。その頃には父も宇野さんも別れて十年以上の年月が経っていたけれど、父がとても若若しく高校生みたいに見えたのが嬉しかったのだ。
 井上さんのこの小説は父であり母であり、現実に 尼僧である瀬戸内さんを描きながらそれはまた、完全に物語の中の人物として消化されている。小説家としての力量の快さでもある。こんなに小説のうまい人だったっけと思いながらどんどん物語にひきこまれていった。
 才能というものは淘汰され、磨きあげられて初めて評価されるのだという事をこれほど深く思い込まされたことはない。


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