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日めくり汀女俳句 №29 [ことだま五七五]

三月二十二日~三月二十四日

          俳人  中村汀女・文  中村一枝

三月二十二日
おのおのの野火の向へる炎かな
             『花影』 野火=春
 子供が学校へ行くようになって私は再び「さかだち学校」を思い出した。受験教育はピークに達した頃だからこんな学校があったらと思った。いつのまにか手元に本が失くなっていて、本を探しているうちに全集の出ていることが判った。いろんな経緯があって私は渡辺利喜子という見知らぬ人から手紙を頂いた。
 彼女は東京の吉祥寺で田畑家の隣に住み、隣の小父(おじ)さんとして知った田畑氏の小説に魅せられ、ずっと研究し文章を書いてきた。
 邂逅(かいこう)というのはこういうことかと思ったのである。

三月二十三日
行き過ぎて尚連翹(れんぎょう)の花明り
              『春暁』 連勉=春
 古い「サンデー毎日」に、汀女と作家故森敦の対談が出ていた。
 森「恋愛結婚ですか」
 汀「まさかあ (笑)」
 森「よくそのきれいな顔をほっときましたねえ、ぼくならほっとかん」
 汀「だってあたしたちの時代、そーんなことしたら大ごつでした」
 自らの胸の炎など間違っても明かさない人である。しかし汀女十八歳から十九歳、青春の真っ盛り、汀女はともかく、人は放っておかない。学校帰り男の学生から衿もとに手紙を差し入れられ、黙って母に渡したという。

三月ニ十四日
沈丁や夜はまだ寒く人黙(もだ)し
             『紅白梅』 沈丁花=春
 父尾崎士郎の古い友人で熊本出身の新聞記者、故高木徳氏が私に教えてくれた話。汀女はUという当時熊本では有名な逸材と文通をしていたらしい。縁談がまとまり、手紙を返してくれるように汀女の母ていに頼まれ、ある人が取り返しに行ったという。
 Uは五高生のころから卓抜した詩才と人となりで知られ、東大卒業後、「大正日日」の記者となった。上海特派員時代酔って四階から転落死した。劇的な最期を失恋自殺だと言う人もいたくらいだ。残された歌集で見るUはかなりロマンチストだ。

『日めくり汀女俳句』邑書林

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