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梟翁夜話(きょうおうやわ) №34 [雑木林の四季]

耳よりの話

                 翻訳家  島村泰治

大日本雄辯会講談社の講談全集を読破するという偉業が祟って、私はごく早くから近眼になった。それも右を下に横になって読み耽ったから堪らない、私は右目の近目(ちかめ)が進行した上にプリズムとやらまで背負い込んだ。左右で見れば像が二つ、上下段差を付けて現れる。更に乱視の気配が出るに及んで日々の難渋は極まり、現職盛りの頃は七個の眼鏡を常備して凌いだ。こと眼鏡にかけては大いに眼鏡屋を儲けさせたわけである。

あれやこれやで無意識に眼を労る癖から、私は耳の活用をこれも無意識にしていたようである。テレビなどの愚物がなかったころ、私はこれ幸いと耳学問に勤しんだ。村岡花子の語りや放送劇など、ラジオに親しんだ。長じて後の日曜名作座は、贔屓の森繁が去り新顔のしたり声が鼻、いや耳について手放してしまった。おんな子供に席巻されたテレビは沙汰の限り、耳で寸暇を愉しむ術をなくして私はひたすら寂しく、その昔採り溜めた徳川無声の宮本武蔵をひと節ずつ聴くのが唯一の慰みであった。

さて、私は音楽がこよなく好きである。仕事にも音楽の添え書きが欠かせない。パレストリーナの八声のミサ曲などが淡く鳴っていれば、四五十枚は流れるように書ける。ある時、グレン・グールドが弾く聞き慣れない旋律を耳にした。その間隙を縫って人の声が聞こえる。ピアノを伴奏に物語らしきものが進行している。傾聴すれば、ピアノ伴奏で英詩らしき韻文が詠じられている。調べれば、なんとリヒヤルト・シュトラウスがイノック・アーデンに曲を付けた一作ではないか。私は聴き入った。これが私にとって、旋律に乗って聴く初めてのテニソンだった。

イノック・アーデン。テニソン屈指のこの名詩は、漂流の果て古里に戻ったイノックが、竹馬の友フィリップに再嫁したアニーと子供たちの姿を窃かに見て悟り、宿屋のミリアム・レインに努々(ゆめゆめ)語るなよと諭して憤死する悲劇だ。大正時代に女学校の英語リーダーにも載ったという。

私が耳にしたシュトラウスとグールドの録音は、何と英国の名優クロード・レインの語る逸品だった。これは堪らない。私は一年掛けて原盤を探した。覚えていないが神田かどこかのレコード屋でLPを発見、磨り減らすのを怖れてカセットに、MDに、やがてCDに落として、ことあるごとに語りのイノック・アーデンを堪能した。今は眠りの手引きに寝室のiPodに取り込み、散策や午睡の誘いにウォークマンにも載せている。

これを切っ掛けに、私の耳は眼に劣らず、いや眼をも凌ぐ知の取り入れ口として働いている。あたかも細字が辛くなってキンドルだけに頼っていた矢先、いまや耳が私の読書を支えている。露伴の五重塔の絢爛たる書きぶりを名だたる声優を介して耳で読めることを知り、鏡花鴎外と広がり漱石も代表作の多くを瞑目して読んでいる。

その耳読書が昂じて、このところ英語の原書を漁って聴くことを覚えた。幸い多少なり英語を囓(かじ)っておいた余慶だが、audiobookというジャンルを介して耳読書の道が拓けている。驚いたことに、こちらには日本語を遙かに凌ぐ規模のデータが充実しているではないか。テニソンに始まったわが耳学問の遍歴は、いまや英語による名作、話題作を網羅、手始めに読んだ「ロビンソン・クルーソー」はデフォーが私の耳に語り込むかの錯覚をむしろ愉しんだ。16ギガのわがウォークマンは「人間の絆」、「エデンの東」「風と共に去りぬ」を呑み込んで、さあ読んで見よと私の耳を待っている。

口幅ったいが、直に原書を、それも耳から味わう芸は多少の鍛錬がいるかも知れない。だが、その心ある諸兄姉に是非これをお試し頂きたい。と云うのは、誤解を承知で云えば、大作なればこそ実は耳で読むに限るからである。昔懐かしい若い頃の英語修業で、長文解釈に悩まれた人がさぞ多かろう。咽せるように長い文章の論旨を捉えるのに、文章の切れ目を探る苦労は思い出したくもなかろう。

耳で読むに限るという理由は、audiobookで原書を棒聴きすると、こちらは大いに助かるからだ。他でもない、文字なら苦労して探らねばならない肝心の文章の切れ目、つまりpunctuationを読み手が示してくれる、聴き手の理解を助けようと巧みに読みほぐしてくれる。これは有難い。文字で読むときはこっちでやらなきゃならない仕事を読み手がやってくれる、この差は大きいのだ。流石に語彙だけは不便はするが、そこを堪えれば、坦々と語られる物語の文意を追うには、原書の耳聴きに限るというのが私の実感である。

いま私は、ウォークマンを袋に入れて首に掛け、耳掛けタイプのイヤフォンを首に回していそいそと散策に出る。クルーソーはそうして聴き切った。トランプ大統領のあれこれを暴露した「Fire and Fury」という話題作も聴いた。「老人と海」は読み手の巧みが活きて、大魚の骨のみを引いて帰る老人の悲哀が文字を越えて生で響いた。ヘミングウエイの文章は読まれてなんぼだと思う。ホームズも、The Adventures of Sherlock Holmesの12作品を昨夕取り込んだ。いつ耳が空くか、楽しみである。

5月には膝が入れ替わる。手術を終えていっぱしの膝が蘇生すれば、せっせと散歩、あわよくば軽いジョギングに励むだろう。その時はウォークマンが大いに活きる筈だ。私にはこれほど耳よりの話しは久しくないのである。


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