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検証 公団居住60年 №27 [雑木林の四季]

大資本奉仕の実態と黒い霧

       国立富士見台団地自治会長  多和田栄治

6 大阪府「光明池団地」をめぐる黒い霧 2

 田中角栄首相は1974年11月26日に金脈問題の責任をとって辞意を表明した。その翌々日の28日、衆院建設委員会でも「光明池」団地事件が追及され、住宅公団は1963年5月17日に312,167坪を坪当たり4,100円、総額12億7,988万4,700円で興和建設から売買契約をむすんだ事実が確認された。個人の地主から神港建設への売却にはじまり、2年余りのあいだに8回転がされ、価格は10倍になった。とくに異常なのは73年4月26日から8番目の公団が移転登記をした5月20日までの1か月足らずに4回転がされている。これを公団の播磨理事はけっして異常なこととは認めず、南部総裁は「残念なことに、当時の書類等は現在公団の手元にはない」「いろいろ検討した価格で公団は土地を入手しておる」と言いはる。小沢辰男建設大臣のごときま「私が聞いているところでは、いまお話の日本電建から住宅公団が買収した事実はありません」とうそぶいているのが議事録で読める。
 光明池をめぐる疑惑は74年12月5日の衆院決算委員会でも庄司幸助委員によってとりあげられたが、ここでは土地の買収価格にかんする質疑の部含だけを採録しておく。

[庄司幸助委員]近傍類地価格を調べたのは何年何日か。
[公団理事播磨雅雄]本物の書類が公団に残っていないので、はっきりした日付はわからない。
[庄司]公団は近傍類地価格を、バスが通っている道路沿いとか、光明池とはまるっきり違う良い場所で調べており、公団の坪当たり4,100円は不当に高いのではないか。公団が買収した1年8ケ月後の昭和40年1月に大阪企業局が泉北ニュータウンの土地を買い入れた、その値段は山林原野が坪2,000円、溜池や堤が1,500円、田が2,400円、畑が2,700円。公団が買ったよりはるかにいい場所である。神港建設が36年1月ごろから37年7月ごろにかけて買い集めた価格は坪250円。それを公団は38年5月に4,100円で買った。そのあと大阪企業局はもっといい土地を2,400円で買っている。
[公団総裁南部哲也]公団は近傍類地の価格を調べ、不動産鑑定の専門家に依頼して鑑定をしいる。4,100円は公団として当時妥当な価格であった。
[庄司]会計検査院は41年12月2日付で、光明池地区等の土地買収を実地に検査した結果について改善意見を3点述べている。①「類似性に乏しい売買実例を収集したりなどしている」、②「土地所有者等との価格交渉がほとんど成立した後にようやく売買実例の調査や鑑定評価の依頼を行っているものも見うけられる」、③「土地所有者等との買収交渉が土地等評価審議会の調査審議の結果をまつことなくすすめられ、同審議会の審議結果を必ずしも十分に買収交渉に反映させることができるような体制をとっていないこともあって、適正な買収予定価格の把握についての配慮に欠けていた」
[会計検査院事務総局第5局長中村祐三]近傍類地の売買実例価格6例のうち3例を調べた。光明池をすぐに住宅の用に供せられる土地と同じ扱いで計算している。売買実例地を探してみたが相当する土地がなかった。民間精通者の一人に徴したら、特別価格という理由で普通に計算した価格よりも割り増しをした価格を計算していることがわかった。
[庄司]近傍類地のとり方がでたらめ、場所によっては幽霊の土地、実際にはない土地。近傍類地価格の調査自体がいんちきである。これから気をつけますではなく、不当に高かったと総裁は正直に認めるべきだ。
[南部]これを反省の材料として改善をいたしておる。

 住宅公団が上記のいきさつがあって光明池地区の土地買収を契約したのが1963(昭和38)年、その12年後の75年4月に団地建設をはじめた。年月が経過した理由のひとつに、鉄道開通のおくれがあった。泉北高速鉄道が中百舌鳥・泉ケ丘間を開通したのは71年、鉄道が光明池まで延び、駅が開業したのは77年であった。駅ができて、ようやく78~80年に団地は「光明台」(886戸)と名づけ完成した。光明池駅前から南海バスで15分、国会で「まったくの山の中」といわれた土地である。あとで鉄道が開通し駅ができた地点からバスで15分先の山林原野に住宅公団は宅地開発に着手したのである。
 光明池駅が開通して7年後の83~84年に、高層の「光明池駅前」団地(562戸)が完成した。
 鉄道も道路もない「山の中」を開発するには、その地区から駅予定地周辺までの広大な地域のインフラ整備が前提となろう。駅予定地を基点に開発領域を拡大していく手法ではなく、遠隔地にまず団地建設の名のりをあげ、団地から駅予定地までの、この事業のばあい広大な地域にわたる整備に公団が巨費を投じたことの意味、公団の役割については、素人なりにも考えさせられる。田中金脈がらみの土地買収にはじまる公団のこの「壮大な」宅地開発は、「デベロツパーの帝王」たるにふさわしい事業なのであろう。公団に群がる大小デベロッパーにいかに利益をもたらしたことか。他方で、公団住宅家賃は団地建設および管理の全費用を回収する原価主義設定といわれ、居住者は高家賃を強いられている。あとで述べる全国的な家賃裁判運動のなかでも、光明池団地事件は大きく取り上げられた。


『検証 公団居住60年』東信堂

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