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論語 №69 [心の小径]

二一五 顔淵(がんえん)喟然(きぜん)として歎じていわく、これを仰げばいよいよ高く、これを鑚(き)ればいよいよ堅し。これを瞻(み)れば前に在り。忽焉(こつえん)として後(しりえ)に在り。夫子循循然(じゅんじゅんぜん)として善(よ)く人を誘(みちび)き、われを博(ひろ)むるに文を以てし、われを約するに礼を以てす。罷(や)めんと欲して能わず、既にわが才を竭(つく)せり。立つ所ありて卓爾(たくじ)たるが如し。これに従わんと欲すと雖(いえど)も、由なきのみ。

                     法学者  穂積重遠

 顔淵が溜息をついて言うよう、「先生のお徳は、高山の仰げばいよいよ高くして登るべからざるがごとく、金石の切ればいよいよ堅くして刃がたたぬと同じである。またその真相のとらえがたきこと、今まで前に見えたかと思えばたちまちうしろに在るような始末である。しかし先生は順序よく人を誘導されて、われわれの知見をひろむるに文字をもってし、われわれの行為を規律するに礼をもってされるので、やめようにもやめられず、力いっぱいを出し切ってここまで追いすがってきた。ところがどこまで行ってみても、先生はわれわれの目の前にそびえ立っておられて、どうかして追いつこうと思っても、及びもつかない。」

 高弟たちが孔子様に追随精進する模様が目に見えるようだ。「立つ所」を顔淵自身のこととして、ともかくも自立し得るところまではきたが先生の位置までは達し得ぬ、の意に解する説もあるが、前記の方が続きもよくおもしろいようだ。

二一六 子疾(やまい)病(へい)なり。子路門人をして臣たらしむ。病(やまい)間(かん))にしてのたまわく、久しいかな由(ゆう)の詐(いつわり)行うや。臣(しん)無くして臣有りと為す。われ誰をか欺かん。天を字無冠や。且つわれその臣の手に死なんよりは、むしろ二三子(ひさんし)の手に死なんか。且つわれたとい大葬(たいそう)を得ずとも、われ道路(とうろ)に死なんや。
                                        
 大夫が病気ならば家臣が見舞客の応接もし、また死ねば葬儀も執り行うのだが、孔子橡は当時退官しておられたから家臣というものがない。そこで子路が、それでは体裁もわるいし、万一の場合は葬儀も盛大に執り行いたいと思って、若い門人たちを家臣に仕立てたのである。前に出ていた「祷(いのら)んことを請う」と同じ時かどうか知らないが、子路はとかく師匠思いのあまり出過ぎたことをする。殊に重態だからとて葬式の心構えまでしたのならば、少少気が早過ぎる。江戸笑話にこういうのがある。今度雇った下男は、「エヘンと言えばたばこぽん」でまことに気がきいている。咳(せき)をすれば医者にかけつける、二三日ねると寺に行く。「久しいかな」は、今さらならぬことながらの意。わが国でも「久しいものだ」という。

 孔子様の病気が重態なので、子路が門人たちを家臣に仕立てた。病気がややおこたったとき、はじめてそれを知っておっしゃるよう、「久しいものだ、由がこしらえ事をするのも。わしに家臣がないのは皆が知っているから、家臣があるように見せかけたとて、誰をだませようか。よし人はだませても、天道様をあざむけようか。その上わしは、大夫として家臣の手で死ぬよりか、むしろ先生としてお前ら弟子たちに死に水を取ってもらいたいのだ。たとえ大夫の礼で葬られずとも、まさか道ばたでのたれ死をしはすまいじゃないか。」

 「二三子の手に死なん」というのがいかにも人情があってよい。私は某元老の国葬の儀に参列して、万端一切が係役人の手で取りしきられ、親族友人は隅の方に小さくなっているのを見て、この本文を思い出したことがある。


『新訳論語』講談社学術文庫

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