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余は如何にして基督信徒となりし乎 №59 [心の小径]

第九章 基督教国にて―神学の一瞥 6

                     内村鑑三

 憐れむべき厳格な東洋人には、しかしながら、この簡単な科学的議論を洞察することはできない。彼らは信ずるのである、人はパンのみによって生きるものでないこと、精神はある点では肉体的食物でもあること、そして自分のうちにある満ち満つる天の霊で生きる人々には羊肉チョップと鶏肉パイは無くて済まされ得るものであることを。宣教師の生活様式に対する『不親切な』批評はそのためである。もちろんこれらの宣教師たちは、時には外国伝道の敵によって報告されることのあるように、『宮殿風』に生活してはいない。彼らはただ自分の国で生活するように生活しているにすぎない。しかし彼らがそのなかに派遣されて来たその国民には、彼らは宮殿暮しをしているように見えるのである。ご存知の通り富と快楽は単に比較的の名辞にすぎない、そして長椅子は荷の上に転(ころが)っている者には贅沢である。こういうわけで、それゆえに、滅びる異教徒に救擬(すくい)の喜ばしい音ずれをもって近づくために、宣教師たちの熱心が苦闘して通過しなければならない一つの障害が現れるのである。
 そして時には『祝福せられた』宣教師たちが来ることもある、異教徒のこの特質を調べてそれに応じて振舞う人々である。彼らは白ネクタイをはずし、頭を辮髪(べんぱつ)にし、バイやその他の故郷の美味を断ち、蓆(むしろ)の上に膝を折ることを習い、そしてあらゆる方法とさまざまな手段によって、霊魂をイエスにかちとる彼らの熱心な仕事に従事する。そういう人々には、我々異教徒は喜んで堪える。彼らは光と真理に来ることに驚くばかり我々を援助する、そして我々は彼らと彼らを遣(おく)りたまいし「彼」を、彼らが我々に為す善のために、讃美する。そのような宣教師は長老派シナ派遣宣教師クロセット氏(Crossett)であった。彼はシナ人そのものになった、しかもシナ人のうちの宮人族にではなかった。ついには彼の『奇行』は彼から本国の補助を奪った、しかし彼には異教徒自身があって彼の事業を助けて行った。彼はペキンに救貧院を設立し、異教徒のペキン商人たちによって維持された。彼は普通のシナ人とともに船艙で旅行した。このようにして黄海一帯に彼の伝道を続けつつある間に、彼の天上のホームへの召命が彼に来たのである。船長の自分の船室に来て楽に寝るようにという彼への忠告はしずかに拒絶された、自分が遣わされたその人々のなかで死にたかったからである。人々は無理やりに彼を船室に運んだ、そしてそこで彼は息絶えた、周囲の一同を彼の神と救拯主とに委ねつつ。彼の訃報(ふほう)は彼の故国に達した。宗教新聞はそれに多くの論評を加えることなしに看過した。然り、それのみではない。彼の犠牲は愚かな犠牲であったこと、善行は白ネクタイをつけて一等船室のなかで為され得ることを、暗に証拠立てる事例が引用された。けれどもペキン人とテンシン人とその他の辮髪紳士とは彼の奉仕を忘れない。彼らは彼に『基督仏』の名をつけた、それほど彼の存在は彼らの間で崇められていたのである。彼の宗教からはおそらく彼らのうちのはなはだ少数しか恩恵にあずからなかったであろう、しかし彼からはすべてのものが神的な悲しみと愛とについて何事かを学んだに相違なかった。
 幸運な宣教師の彼よ! おそらく何人も彼を模倣することはできないであろう。おそらく彼の胃は駝鳥(だちょう)のそれであって、シナ人の食物を消化不良を起さずに消化することができたのであろう。余は言う、彼は幸運であったと、なぜなら彼のような人は『伝道地の困難』をつぶやく必要がないからである。我々は彼の人まねを試みないであろう、人まねは偽善であり、何の善いこともそれからは出て来ないからである。辮髪にすることと船艙で旅行することとは事の本質ではない、もちろんである、しかし被の精神が事の本質である。それを我々は『奇行』として軽蔑しないであろう。もし我々のうち誰でも異邦人の間で成功した宣教師になろうという野心をもつならば、我々は彼に似たものとせられるように祈るであろう。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

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