西洋美術研究者が語る「日本画は面白い!」№4 [文芸美術の森]
シリーズ≪琳派の魅力≫
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
第4回: 俵屋宗達「風神雷神図屏風」 その3
(17世紀。二曲一双。各155×170cm。国宝。京都・建仁寺所蔵。)
(17世紀。二曲一双。各155×170cm。国宝。京都・建仁寺所蔵。)
≪運動感と絵画空間の広がり≫
今回は、風神と雷神、それぞれの動きに注目してみます。
先ず右隻の「風神」。
大きな風袋を両手で握りしめ、右足で地を踏みしめ、左足を蹴り上げながら、全速力でこちらに駆け抜けてくるような動きを示しています。リボンのように見える細長い天衣は後方にひらひらとなびいている。宗達は、ここに「風」というものの本質を形象化しています。
次に左隻の「雷神」。
雷神は、うしろにかついだ連鼓を打ち鳴らしながら、地上めがけて舞い降りてくるような力強い姿で描かれています。これは、天空から雷鳴を轟かせながら落下する「雷」という自然現象を象徴しているのでしょう。
大きな風袋を両手で握りしめ、右足で地を踏みしめ、左足を蹴り上げながら、全速力でこちらに駆け抜けてくるような動きを示しています。リボンのように見える細長い天衣は後方にひらひらとなびいている。宗達は、ここに「風」というものの本質を形象化しています。
次に左隻の「雷神」。
雷神は、うしろにかついだ連鼓を打ち鳴らしながら、地上めがけて舞い降りてくるような力強い姿で描かれています。これは、天空から雷鳴を轟かせながら落下する「雷」という自然現象を象徴しているのでしょう。
この二つの神に見られるのは、それぞれが画面の枠外、こちら側に突き抜けてくるような運動感です。そのとき、絵画空間は枠を超えて広がっていく。これが、この屏風絵の大きな魅力のひとつであり、世に「鑑賞者を包み込むような絵画空間の広がり」と賞讃されるゆえんです。
このような絵画空間を生み出すもうひとつの重要な要素は、宗達独特の「雲」の表現でしょう。
これは、それまでの日本絵画に描かれていた平面的で装飾的な雲ではなく、ふんわりと柔らかく、風に乗って流れる軽やかな雲です。この雲の動きがまた、風神・雷神の動きを助ける役割を果たしている。
宗達が描く雲には、繊細な立体感が表現されており、これが、いかにも空中に浮いているような量感と深みを感じさせます。
これは、それまでの日本絵画に描かれていた平面的で装飾的な雲ではなく、ふんわりと柔らかく、風に乗って流れる軽やかな雲です。この雲の動きがまた、風神・雷神の動きを助ける役割を果たしている。
宗達が描く雲には、繊細な立体感が表現されており、これが、いかにも空中に浮いているような量感と深みを感じさせます。
宗達が、このような柔らかで軽い雲を描くときに使っている技法は、彼が水墨画で駆使した「たらし込み」と呼ばれる技法です。
「たらし込み」とは、一度置いた墨がまだ乾かないうちに、それとは濃淡の異なる墨を上から垂らし、にじみやムラを故意に現出させる技法です。いわば、輪郭線を使わずに、ものの形や質感を繊細に描き出す技法です。
宗達が到達した極めて高度な水準の「たらし込み」の例として、水墨画の最高傑作とされる「蓮池水禽図」がありますが、この絵については、回をあらためて紹介したいと思います。
この「風神雷神図」でも、水墨画で培った「たらし込み」を応用して、このような独特の雲の効果を生んでいるのです。
「たらし込み」とは、一度置いた墨がまだ乾かないうちに、それとは濃淡の異なる墨を上から垂らし、にじみやムラを故意に現出させる技法です。いわば、輪郭線を使わずに、ものの形や質感を繊細に描き出す技法です。
宗達が到達した極めて高度な水準の「たらし込み」の例として、水墨画の最高傑作とされる「蓮池水禽図」がありますが、この絵については、回をあらためて紹介したいと思います。
この「風神雷神図」でも、水墨画で培った「たらし込み」を応用して、このような独特の雲の効果を生んでいるのです。
≪立てて眺める屏風絵≫
今度は、「風神雷神図屏風」を立てた姿で眺めてみます。屏風は、本来、このような形で室内に置かれる調度品だということを想起しましょう。
このようにして眺めると、右隻、左隻それぞれの中央がくぼんで、風神と雷神の姿が立体的に浮かび上がり、二つの神のにらみ合いがより鮮烈に映ります。
さらに、こちら側に突き出た中央の二面は、風神、雷神それぞれの視線の流れがこちら側に放射されるのを助けています。
おそらくここには、このような姿で室内に置かれる屏風というものを考慮に入れた宗達の計算が働いていると考えられます。
おそらくここには、このような姿で室内に置かれる屏風というものを考慮に入れた宗達の計算が働いていると考えられます。
本来、日本家屋の室内は、昼でも薄暗い。夜には行燈の光に揺れる室内空間です。そのような薄暗い部屋に置かれた金屏風は、ほのかな照明の中で柔らかい光を放ち、妖しくも幻想的な雰囲気を演出する調度品でもあったでしょう。おそらく宗達は、このようなことも意識していたに違いありません。私は、宗達の「風神雷神図屏風」を、人工的な照明を消した暗い空間で“ゆらゆらとゆれる行燈の光で見てみたい”という思いに駆られます。
次回は、「風神雷神図」の構図に潜む曲線美と、この二神の肉体感というものについて、注目してみたいと思います。
(次号へ続く)
(次号へ続く)
2019-02-12 22:37
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