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フェアリー・妖精幻想 №103 [文芸美術の森]

仮面劇、シェイクスピア、オペラ、バレエ 6

             妖精美術館館長  井村君江

 「妖精の森」「魔法の湖」(泉にほんとうの水を入れたり噴水をあげたりする)、「中国の庭」の三つの情景を設定して、場面転換で目を楽しませるように工夫がされていて、まさに十七世紀イ二ゴ・ジョーンズ式のスペクタクルである。
 この時の振付はフレデリック・アシュトンで、マイケル・エアトンがコスチュームと舞台装置をデザインした。これもまたイニゴ・・ジョーンズの仮面(マスク)劇の衣裳を念頭においてデザインしたということである。
 エアトンによれば、イニゴ・ジョーンズとパーセルは五〇年の隔たりがあり、共作をしたという記録はないが、「同じ十七世紀の作曲家とデザイナーであるので、精神的な協力関係があったであろう」と書いている。
 エアトンのデザインによる、オベロンのマントを広げたポーズのスケッチは、躍動感のあるリズミカルな線と、キジや孔雀の羽でできた頭飾りをかぶり、仮面を膝につけたブーツの足先をのばした斬新なスタイルが印象的である。これをそのまま踊り手ロバート・ヘルプマンが身につけて、マーガレット・ローリングのティタニアと共に舞台で踊っている。
 パックのコスチューム・デザインも斬新で、モダン・アートの様式化を見るようで、右肩から半身だけ蔦をからませたシャツとタイツ姿になっている。頭には、巻いた角がつき全体の印象は森のフォーンのようである。ジェイムズ・ケニーがこのコスチュームでパックを踊った。
 エアトンのこうした一連のコスチューム・デザインのスケッチが残っているが、そのまま独立した絵画作品と思えるほど達者な線と水彩で描かれている。踊りの動きを一瞬とめたような決まったポーズの踊り手たちの人物像は、筆致の動きと相まって指の先まではりつめた躍動感がみなぎっている。
 この頃から、画家やイラストレーターたちが、劇やバレエ、オペラの舞台デザイン、コスチューム・デザインに目を向け始め、レオン・アン・バクストやチャールズ・リケッツのように、自在な色彩と新しいスタイル、パターンで形と色の美を作っていった。それが登場人物の動きと照明の光によってさまざまに動いていく。
 ロイ・フラーの薄いサーキュラーのスカートが呉まざまなライトに渦巻き、交錯する光の芸術のようなモダン・バレエなどでは、空間の動き、瞬間の美の制作に、画家たちも参加してくるのである。
 クロード・ロヴァト・フレーザー(一八九〇~一九二一)もリケッツに学び、画家から舞台デザイナーへ転向した一人である。戯画を描きパントマイム衣裳をデザインしていたが、俳優のハーバート・ビアボン・トリーに出会ったことが大きく転向するきっかけであった。
 『アフリカン・フェアリー』の衣裳デザインは、詩人ウォルター・ド・ラ・メアの唯一の劇作晶「フェアリー・プレイ『クロッシングス』」のコスチユーム・デザインで、一九二一年制作でカンヴァスの裏に「ステージ・ドレス・アフリカのフェアリー」とある。オートミール紙にペンと灰色のインクに水彩とボディカラーを使って描かれ、版画のような質感が出されている。
 コンスタント・ランバートが編曲し、指揮もし、フレデリック・アシュトンの振付、マイケル・エアトンのコスチューム・デザインと舞台デザイン、ロバート・ヘルプマンの踊りによるこのサドラーズ・ウェルズの『妖精の女王』は、成功を収め、舞台写真とデザイン画をつけて、一九四八年に一冊の本にまとめられたほどであった。
 パーセルが自在にシェイクスピアを改作し、音楽をつけ、当時流行の中国趣味(シノワズリー)をつけ加えるという時代錯誤(アナクロニズム)を敢えて行いながら、自分の『妖精の女王』をまとめたことは、後世の人に深い影響を与えた。
 例えばデヴィッド・ギャリックなどは『夏の夜『の薗芝の妖精と恋人たちに筋をしぼり、そこに『嵐』のエアリエルをつけたし、自在に構成し直して、『妖精たち』(一七五五)を書いているのである。またサドラーズ・ウェルズの舞台で、パーセルの曲に合わせた妖精たちの美しい群舞は、十九世紀のロマンチック・バレエの舞台をそのまま移行していったようである。


『フェアリー』新書館

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