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いつか空が晴れる №53 [雑木林の四季]

            いつか空が晴れる
            -冬の夜『魔王』―
                     澁澤京子

 友達の家で炬燵にあたって話をしているうちに夜も更けてきて、往来から、かち、かち。火の用心。の声が聞こえてきた。2,3人で歩いているらしい。火の用心の見廻りする人たちの暖を取る場所が番小屋と呼ばれるのを、私は岡本綺堂の小説で知った。

子供の頃、祖父の家に泊まりに行くと、寝る前はよく祖父に頼まれて、岡本綺堂の「半七捕物帳」かシャーロックホームズを枕元で朗読した。祖父は「半七捕物帳」と「シャーロックホームズ」が好きだったのだ。
祖父の寝室は書斎を寝室に改造したもので、本棚の下にはマントルピースがあり、そこには普通のストーブが置かれていた。本棚のほかにも、出窓になっている窓辺には祖父の本がたくさん積まれていた。四角いガラスケースに入った、金色の美しい時計が夜になって静かになると、コチコチと規則正しい音を立てていた。祖父が昔アメリカから買ってきた時計だった。シャーロックホームズも半七捕物帳も、子供の私にはそれほど面白いとは思われなかった。むしろその頃よく読んでいた怪盗ルパンとか江戸川乱歩の少年探偵団の方がずっと面白いと思っていたけれど、大人になってから読み返してみると、半七捕物帳には江戸~幕末のころの東京の様子が、シャーロックホームズは19世紀末のロンドンの雰囲気がよく伝わってきて、ある時代、ある都市の雰囲気を楽しめる小説でもあるのだ。

声をからして朗読しているうちにスースーッと祖父の寝息が聞こえてきて、祖父が寝てしまうと私は本を閉じて、祖父の隣に敷かれたお布団にもぐりこんで一緒に眠った。
カーテンを閉めた出窓のガラスは、風が吹くと時折カタカタと音を立てていた。昔の家は今よりもガラスが薄かったので、特に冬の夜などは風の唸り声とガラス戸の鳴る音は布団にもぐった真っ暗な中でも聞こえてきた。

シューベルトの『魔王』の話を祖父から聞いたのも、やはり冬の夜、布団を並べて一緒に寝ているときだった。
一人の騎士が病気の息子を抱いて、夜の闇の中、馬を急いで走らせている、
「父さん、魔王が見えないの?」
熱を出した息子は幻覚を見る
息子よ、あれは木の影だ。
「父さん、あの声が聞こえないの?」
息子よ、あれは風の音だ。
父親にしっかり抱きしめられて、うわごとを繰り返していた息子は、結局父親の腕の中で亡骸となっていた、という話である。
祖父からこの話を聞いた後、私は真っ暗な中で聴こえてくる風の音が怖くて怖くて眠れなかったことがあった。
隣からは祖父の安らかで規則正しい寝息が聞こえてきて、私だけいつまでも眠れなくて布団にもぐっていた。

私は寝つきの悪い子供だったので、しんとした夜中、世界中で目が覚めているのは私一人だけという感じをよくもった。子供のとき、死についてすごく恐怖感を持ったのも、寝つきが悪かったせいだ。明日はどうなるかわからない、いつ心臓が止まるか誰もわからない、生きているということは、ちょっと先は闇の、まるで綱渡りをしているようなものなのに、家族や他の人たちはよく平気で喋ったり笑ったりしていると考えていた。

父には、20歳の若さで病気で亡くなった兄がいた。ハンサムで優しくて、誰からも愛されるような青年だったらしい。祖父にとってこのゲーテの魔王の話は、若くして息子を亡くしてしまった父親の、口に出せないような悲しみと辛い思いがいろいろとあったのに違いない、と今になって思う。


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